ひみつ基地

ひみつ基地暮らし。

夏のある日、北へ。

金曜日、仕事を早々に切り上げ、板橋物置部屋に戻る。引っ張り出したのはオレンジ色のdeuterのtrans alpine 30。こいつの特徴は中が2気室に分かれていることで、ランシューズを下に、着替えと電装を上にパックする。バッグの上部にオリーブドラブのパッチが当たっているのは、この間洗濯機で防水加工したとき空いた穴をテント補修用シートで塞いだ痕である。
ちょうど食べきるように計算して炊いたご飯は、きっかり一食分200グラムが炊飯器の中に残っている。野菜をたっぷりと、たんぱくを少々の晩ご飯を手早く掻き込む。食器を洗い、シャワーを浴びて、畳んでまとめておいた旅装を身に着ける。パッキングが済んだ荷物を背負って、それなりの法則に則って積みあがった荷物がそびえる部屋を眺め渡す。そして、ここに戻ってこないかもしれないという予感めいた思いにとらわれる。4月に帝都に戻ってきて以来、たまに取りつかれる不思議な感覚だ。僕はここに戻ってきたのだろうか、それとも、またすぐに出ていくことになるだろうか。もちろんそれは幻想で、しっかりと週明けからの仕事のスケジュールが詰まっているのだけれど。
重い鉄の扉の外に渦巻く湿度の高い空気に分け入る。街は週末の活況に沸いている。新宿駅に近接する複合施設には、ここ最近お世話になりっぱなしだ。やたらと大きいキャリーケースを引き摺る人の列に混じって4階に上がるエスカレーターの脇を、巨大なバスがローギアーでゆっくりとスロープを登っていくのが見える。それを眺めながらたどり着いた4階のロータリーは、セイウチのコロニーよろしく長距離バスの群れがひしめき、咆哮を上げている。待合フロアは足の踏み場もないくらいに混雑していて、みんなが大きな荷物を引きずりながらディスプレイに表示されるバスの入構時間と検察の開始に目を向けている。混雑と人いきれ、効きすぎの冷房。ベンチの隙間を見つけて潜り込む。
時間きっかりに入構したバスは、いつもの予約よりも値段の高い便である。時期柄満席だとのこと。オレンジのバックパックを行き先を告げてラゲッジルームに預け、ハイデッカーの車体によじ登り、シートに座る。
ほどなくバスは満席になり、車体を震わせながら甲州街道を走りだす。車窓が遮光布でおおわれているので、GPSでトラッキングして経路を確認する。中央環状線を通って、江北ジャンクションから川口ジャンクションへ。そのあたりから瞼が重くなり、眠ることにする。幸いにして隣の旅行者はいびきもなく静かな老人で、今日はついていると思う。今日は疲れているし、よく眠れそうだ、といつも思うのだけれど、やっぱりバスの座席は疲れて、途中で目を覚ます。GPSを確認するとあと1時間ほどで着くみたいだ。そのまままたまどろんで、早朝、北の街にたどり着く。荷物を受け取ると、人気のない街を歩きだす。
ああ、また帰ってきた。
今日明日はこちらの秋祭りの打ち合わせとランクラブの集会に出席。どうせお酒がたっぷり出ることだし、最近続いていた理想的な栄養配分の食事が途切れることにはなるけれど、今週末は赦すことにしよう。
で、今は電脳喫茶で漫画を読みながら土曜日の週末を愉しんでいるというわけ。金曜日に仕事をやっつけた後、潜り込んだネカフェでピラフ食ってる時が一番幸せ、という木楢の気持ちがよくわかる。

微熱はつなつ。

風には夜露の湿り気が混じっていて、初夏の香りがする。広い駐車場の真ん中に水銀灯が円錐形の明かりを投げかけていて、それに照らされてうずくまる深夜高速バスは週末の客を満載している。
東北から東京に戻ったのはこの春のこと。板橋物置部屋は手狭で(何しろ物置部屋に強引に生活道具を割り込ませているものだから)、しかし急いで引っ越しするほどの余力もなく、どうせ日中は外に出ているし、休日だって家でゆっくりすることなんてないから、と居直る。まずはリネンを洗いに出して、プロテインを作る。ウェイトの計測と記録。それから朝のラン。日常はだんだんと組みあがり、組みあがったからくりが軋みながら動き出す。ルーチン、ルーチン、ルーチン。
ひんやりしたサービスエリアの空気を吸い込んでから、バスの中に戻る。なんていうか、布団の中みたいな湿気を感じながら、座席について目をつぶる。
東北にいた時から、朝のランは習慣になっていた。だんだん出来上がる身体を見るのは楽しい。それと同時に、タイムが上がり、VO2maxも上がり、ハーフマラソンでで90分を切り、フルマラソンで4時間を切った。
そして、少しづつ過去のわだかまりめいたものがほどけていく。これも面白い。だんだんと自由になる。
消灯されたバスの中で一人にやにやする。なんたってこれから、東北に行ってフルマラソンに出るんだからな。

懐かしのバトルフィールド。

朝3時に起床。雑魚寝の部屋では他の人もそろそろ起き始めている。それでも静かに、寝ている人を起こさないように心拍計のバンドを着け、昨晩のうちにゼッケンを貼ったジャージを着込み、ウィンドブレーカーを羽織る。ハートレートモニター(相変わらずのCS400!*1)のスイッチを入れると、心拍数は50に落ち着いている。
今日は特別の日だ。
階下では朝食の準備が既に出来ていた。ご飯3杯、おかずも残さずに食べる。3日前から炭水化物を多めに取り、リバウンドを利用したカーボローディングを意識した。当日朝もたくさん食べること、とはフルマラソンのカーボローディング方法をどこかで読んだときに聞きかじった知識だ。早めにたくさん食べて、レース前にたくさん出すことが大事なのだ。
2012年5月に、僕は入院した。幸い1ヶ月で退院出来、怪我から2ヶ月で普通の生活に戻ることが出来たのだけれど、入院している間に、エントリーしていた第9回Mt.富士ヒルクライムDNS*2で終わった。
今日はそのリベンジの日だ。第13回Mt.富士ヒルクライム。相棒、というより武器は灰猫である。いままで然るべき活躍の場を与えることが出来ないでいたのだけれど、軽量のこのバイクに、富士ヒルクライムはうってつけのバトルフィールドだ。
駐車場のいいポジションを確保するべく、他の人より早めに宿を出た。
快晴の富士山麓。久しぶりに富士山を間近で見上げる。第15ウェーブまである選手群の、真ん中ちょっと前の第7ウェーブの一番前に陣取って、出発時間を待つ。周りでは絞った体型の人とファンライドっぽいゆったりした人が相半ばしている。みんな思い思いに時間をつぶしている。気圧の関係なのか、気温のせいなのかわからないが、突然近くのキャノンデールのタイヤがバーストした。途中トイレに行くとすごい行列だったが、時間には余裕があったのでしっかり軽量化した。
プラカードを持った係員がポジションに着くと、選手はそわそわと自分のバイクを起こしにかかった。数百台のバイクがざわざわと準備するさまは壮観である。この頃から戦闘モードに徐々に入り始める。ぴりぴりとした雰囲気が逆毛を立たせる。頭の中ではNegiccoがトリプル!WONDERLANDを歌い出している。最近のレースの時のアップの定番曲だ。BPMが合うのだ。

「第7ウェーブ、移動を開始します」
係員が号令を出し、クリートをカチャカチャいわせながら集団がゆっくりと移動を開始した。
「道を空けてください。第7ウェーブ通ります。道を空けてください。」
係員の掛け声をDead man walkingみたいだな、と思いながら進む。みんな無言だ。スタートライン近くの待機場所に移動してから、ここでまた30分ほど、自分たちより前のウェーブがスタートするのを眺めながら待つ。心拍は60台で落ち着いている。
スタートの号砲が鳴ったとき、僕はゆっくりと漕ぎ出して最前列からわざと少し遅れ目にポジションを下げ、足を使ってしまう愚を避けた。少しゆっくり気味くらいでいい。計測区間が始まるまでパレードを楽しむ。やがて料金所のゲートが見え、富士スバルラインに次々に自転車がとりついていく。計測ラインを超えると同時にサイコンのスイッチを入れた。このとき、ハンドルには1時間15分切りのシルバータイム用のラップチャートと、1時間30分切りのブロンズタイム用のチャートを貼っていたのだが、5km過ぎる時点でタイムは19分40秒。この時点で17分程度のタイムが必要なシルバー狙いはあっさり放棄し、ブロンズに焦点を合わせる。心拍159bpm。
10km、37分10秒。心拍156bpm。心拍が安定していて乗りやすい。今まで心肺機能を重点的に鍛えてきたのが効いてきたのか。ラン主体で作った身体は、自転車用の筋肉が強化されているわけではない。武器は心肺だけだ。隣り合ったライダーの呼吸音を聞いて、意識してそれよりも深く、ゆっくり息をする。
15km、56分。心拍153bpm。
20km、75分5秒。心拍152bpm。
21kmあたりからフラットな路面になって、スピードの合う人とトレインを組む。一挙にスピードが30km/hを超えるが、最後の登りですぐに減速する。そこまで行くと声援も「あと1kmがんばれ!」とか「最後の登りだよ!」とか、ゴール近くを感じさせるものになってくる。既に上り終えて下ってくる人からも「頑張れ!」「もがけ!」と気合いを入れられる。
そのころ僕は、乳酸の痛みをいなしながら最後のスパートのタイミングを図っていた。
ゴールまで500mを切ったところで、隣で突っ込みかけていたライダーに「行きます」と声をかけ、最後に残っていた脚で引き足気味に灰猫を進ませる。もう後は耐えるだけだ。
1時間25分切りでゴール。
やあ、ヒルクライマーのみんな、僕は、帰ってきましたよ。また一緒に遊んでください。

*1:windows10に環境を移行したとき、赤外線通信が使えないことを知って愕然とした。CS400とパソコンのデータのやりとりは赤外線で行われるから。今更環境を変えるつもりもなく、ネット上の情報を探しまくってなんとか環境を整えることが出来て一安心。→http://www.taroumaru.jp/main/irda_windows10:title=IrDA

*2:Do Not Startの略。DNF(Do Not Finish)とか、レースの時に使う用語。

窓さんち。

レガシィに火を入れて暗い国道をすっとばす。およそ100キロの先、沿岸に窓さんちがある。
「よく来たねぇ」
新築の香り立つカウンターの向こうからひょっこり顔を出した窓さんは、人懐っこい笑顔で迎えてくれた。
津波に洗われた街に、窓さんは新しい米屋を建てた。だから帝建の復興支援班の運転手業は廃業で、米屋に逆戻りである。
そーいえばさぁ、と窓さん。車に乗ってる間ずっと木下ちゃんとは食い物の話ばっかりしてたけどさぁ、振舞ったことないよね。おいでおいで。
という電話で、今回沿岸で飲み会をすることになったのである。
「あん時立てた案内看板、全部撤去になっちゃったね」
「そうなんです。今やどこもかしこもかさ上げ工事ばっかりで、昔の街の姿なんてわからないですよ」
牡蠣をバターで蒸しながら、地酒で乾杯する。
まあ、酒飲んで幸せな気分になれる場所ができたのであれば、それは復興に向けて着実に進んでるってことなんじゃないかねぇ。飄々と窓さんが言う。
でもね、復興って、どこまでが復興なんだろうね窓さん。新しく街を作るって、大変だけど、終わりがないよね。
うーん、それを教えてくれるのは時間なんだろうね。どこまでが区切りなんて、誰にもいえないよぉ。木下ちゃんどこまでやる気?
僕はね、必要とされるうちはそこで働くし、淡々とやりますよ。
「そっか、そしたら、また呑みにこれるねぇ」窓さんは笑う。

自転車でどこまでも行こう。

秋の風薫る9月長月、恩田君と自転車で旅に出る。相も変わらず喧嘩道中である。まず自転車の選択から意見が合わない。最近の恩田君のお気に入りはカリカリのロードバイク*1を乗り回すことである。一方、こちらは青猫はツーリングに使っても、灰猫は使わない。レーシングバイクを傷めたくないからだ。
青猫はかなりバンカラな風貌になっているが、旅の道具としてはそんな面構えでいいのだと思っている。括り付けた荷物が擦れて塗装が削れたり、輪行時に心無い乗客に蹴飛ばされたり、そんな扱いでも耐えて乗り手と一緒に家に戻ってこられる、そういうヘヴィデューティさを、旅の道具に求めるものだ。
併せて身軽さもほしいところである。恩田君は最近、荷物を極力積まないでデポする−つまり、予約をばっちり入れて行程を決め、宿に荷物を送りつけておく。ハイシーズンに予約を取らずに行動するリスクは避けたいので、予約までは当然としても、デポについては意見の分かれるところである。デポや荷物の送り返しは、宅配業者と宿泊先のサービスのきめ細やかさに乗っかって成立するものであって、左様に世にはばかってまで道楽を推し進めるのになんとなく違和感を覚える。ただ、これは感覚的な話で、いわば目くそ鼻くそ論だ。恩田君の考えが間違っているわけでも、僕が間違っているわけでもない。答えはいつも風の中にある。
ほんの一瞬、軌跡の重なった遊星のように、今は恩田君と一緒に旅を楽しんでいる。お互い違う方向に進むときがくるまでは、ビールと口喧嘩をガソリンにして動くエンジンで、冒険旅行はガタピシと続いていくのである。

*1:恩田君のバイクはLOOKの585という一昔前のレーシングモデル。ちなみに「消費税が8%に上がる前に買わなきゃいけなかったから」というこれもよくわからない理由で、トップグレードのレーサーLOOK695を追加購入。でもレース参戦は大嫌いな恩田君である。

業務ダイアリー考。

神無月も中盤を過ぎ、本屋に行くと日誌の類の特設コーナーが設けられている季節になった。業務ダイアリーを新しく購入するこの機会に、何を考えながら選択したか、メモとしてまとめておく。

  • 以前の記録について

3年ほど前まで、業務記録はA4ノートにまとめ、それとは別にB7サイズのノートを使っていた。もともとメモを取るのが圧倒的に不得手だったので、手元に常にメモノートがある状態を作り、メモに慣れるようにしたかった。そこで胸ポケットに収まるB7ノートを活用していた。スケジュールはPDAで管理。Googleクラウドサービスを始めてからはGoogleカレンダーとそれに連携するスケジュールアプリで管理し、仕事場のパソコンのスケジューラーと連動させていた。

  • 問題点

記録が複数の媒体にまたがっており、系統だって整理できないというのが最大の問題。もともとA4のノート使いは学生のときのノート取りの名残で、そのほかの必要性が発生するたびに記録媒体を足していった結果がこの形態だったわけ。その結果、スケジュールと、打ち合わせ記録や、ちょっとしたメモや、私生活上の備忘録などがばらばらに存在するため、突合せが手間だった。また、複数サイズのノートを保存するのはスペースも取る。さらに、B7サイズのノートはその用途上、殴り書きが多く、保存する価値があるのか疑問になってきた。これについては、ミニ6穴のシステム手帳を導入してリフィルごとに見直すようにしてみたのだが、保存の是非の取捨選択が面倒だった。

  • 仕事上の必要から見直し

帝都公安本部に出向になった2013〜2014年度は、スケジュール管理に苦労した。セキュリティの関係から職場にwebに接続された端末はなく、LAN環境すらない。複数の部下とペアを組んで対応する業務のスケジュールは常に3ヶ月先までびっしりと埋まっており、変更が生じると調整が大変だった。自分がいないときでもスケジュール調整が可能なように、オンラインでなく物理的にスケジュールを明らかにして、部下がいつでも手に取れる状態を作っておくことにした。またゆっくりと記録のまとめ直しができるような余裕がなかったことから、複数の記録媒体を使うのはもはや適切ではなかった。そこで、スケジュールも、業務用のメモも、備忘録も、すべてをひとつのノートにまとめることにした。

  • 大判のダイアリーの使い勝手

当時職場の福利厚生関係組織から配布されていたA4サイズの業務ダイアリーがめっぽう使い勝手がよかったので、1年はそれを使った。スケジュールは見開き月間ブロックタイプで、そこに部下が寄ってたかってスケジュールを書き込む。詳細スケジュールはホリゾンタルタイプのページがあったが、スケジュールというよりはそこに日々の仕事メモを書き込むようにしていた。
B6版やバイブルサイズのスケジュール帳については、小さなスペースに整理して書くことが苦手な自分には合わない。リング式についても同様の理由で合わない。手が大きく、カナクギな文字しか書けない自分にはA4や、少なくともB5のリング綴じでないものが合う。

  • 今年使っている業務ダイアリーはこれだった

世の中に出回っている業務ダイアリーはA4サイズが少なく、選択肢が限られている。そこでB5サイズの以下のものを使った。

これ、いいんだけどいくつか自分の使い勝手に合わない点がある。
1.ブロックタイプのスケジュールが6週/月になると5週目と6週目がかぶる曜日が半分サイズになる。
次の月にフルサイズの枠があるよ、という表記があるのだが、1ヶ月を見開きで使いたい向きには半分サイズの日の書き込みスペース不足は気になる。今月はこのページで完結して、次のページは次の月として使いたいのである。
2.歴史年表とか、地図とか、月間スケジュール縦書きのところにある年中行事とか、すぐには必要でない情報が多すぎる。
たぶんこれは偉い人がスケジュールを眺めながら、今日の訓示を考えたり、あるいは原稿執筆するときのよすがにするための情報なのだろうと勝手に推測。読んでいると面白いし、実際この間、イギリスがイタリアの無敵艦隊を破ったのと産業革命とどっちが早かったかを調べたりするのに役に立ったりしたけど(ちなみに無敵艦隊が敗れたのは1588年で、産業革命については1762年のワットの蒸気機関の改良のところに書いてある)、毎日持ち歩く情報かこれ?というものが多い。

  • 来年の業務ダイアリーはこれにした

今年の業務ダイアリーの上記の点を踏まえて、選択したのは以下のダイアリーです。

日本史/世界史年表も年中行事も日本地図/世界地図もないが、その分メモページが増えている。ざっと数えると高橋の手帳はメモは38ページ、それに対して能率手帳は方眼紙ページも含めると76ページある。ちなみに度量衡換算早見表などの情報ページの分量は高橋のほうが24ページ(常用漢字表印紙税額一覧表、郵便料金表、度量衡換算早見表、年齢早見表、歴史年表、地下鉄路線図、世界・日本地図)に対して、能率手帳は10ページ(印紙税額一覧表抜粋、度量衡換算表、世界時差表、地下鉄路線図、東京近郊鉄道網図、京阪神鉄道網図、年齢早見年表)である。全体に能率手帳のページ数が多いということのようですね。

  • 教訓

記録の取りまとめのレベル−記録を急いで取るための殴り書きのメモなのか、思考をまとめるためのアイディアノートなのか、それとも備忘録的メモなのか、を整理・コントロールするのは、時間も手間もかかる。それだったらいっそのこと全部串刺しにひとつのノートでやってしまえ、というのが最近の自分的トレンドである。それが結局、自分にとっては一番効率よく過去の記録にアクセスできる整理法だった。当分このスタイルを続けるつもり。

ここは地の果て流されて俺。

日曜日の午後、レガシィに火を入れてジムに行く。空は晴れて高く、秋というか冬へのプロローグの様相。エアロバイクで350kcalくらい燃やした後、プールに向かう。左足のハムストリングスを軽く傷めているので、あまり激しくランができない分、水泳のトレーニングができる環境はありがたい。水の中は青く整理された空間で、身体を伸ばし、浮遊しながらゆっくり水を掻く。スローペースのクロールで1000メートル。
そこから移動して、今はインターネットカフェに潜ってこれを書いている。この街は小さくて、半径3キロの円の中にすべてがすっぽりと入る可愛らしさがいい。ご飯もおいしいし、酒もうまい。住んでいる人の人柄もいい。そんな環境に平然と−前からこの街の住人であったかのごとくふるまっていることが愉快だ。観光名所や、温泉を巡るという客人めいた振る舞いをするよりも知らない環境にするりと入り込むほうが楽しい。
ちなみにこの街、半径3キロの外側は深い森と山に囲まれていて、夜は真っ暗である。