ひみつ基地

ひみつ基地暮らし。

木下先生講義録

はいこんにちは。今日の講義はちょっとまとまり感に欠けますし、音楽鑑賞とは直接結びつかないですが、やりたいのでやっちゃう。とりあえず前回予告していたRoundTableとかキリンジとかは、今日触れません。
今日のお題は「デパート化する東京」です。都市全体がメタボリズムに犯された、いわゆる「風街」以後の東京の嘘っぽさが以前から気になっていた私としては、デパートが持っている口当たりの良さと、その裏でデパートを思想的に支える消費のメカニズムと、昨今の東京の相似性について思いを巡らせていたのでした。
今日のテキストはTITLE7月号の特集「デパート天国へいらっしゃい!」です。この中の仏文学者の鹿島茂が書いた「パリのデパートは民衆のヴェルサイユ宮殿だった!」という文章を引用しながら、講義を進めます。
「大衆消費の環境とは、消費者が一時的に富裕のファンタジーに浸ることの出来る場所である。こうした環境は、少なくとも営業時間内にはすべての人々に開かれたヴェルサイユ宮殿であるといえる」とは、文化史家のロサリンド・ウィリアムズが「夢の消費革命」っていう本に書いている文章なんだけど、こういう環境が、消費の目的自体を変えてしまう。宗教的ともいえる壮麗さと巨大さを備えた空間で、大衆は「ドリーム・ワールドのルールに従って行動することを余儀なくされる」。鹿島先生の文章ではボン・マルシェの創始者ブシコーがカテドラルのような空間を恣意的に作り出し「サブライム(崇高な)効果」をねらったことについても述べられています。宗教的な高ぶりを覚えた消費者がお賽銭感覚で買い物してしまう、一種のマインドコントロール的な大衆操作だというわけ。
そのバックグラウンドとなる宗教観やそれが日常生活に及ぼしている影響の違いから欧米の感覚と日本人の感覚を同列には語れませんが、同じ特集の中に掲載されている、三越呉服店が1905年に新聞広告で出した「デパートメントストア宣言」に、日本人のデパートに対する感覚の源流を観ることが出来るのではないでしょうか。曰く、「米国に行わるるデパートメントストーアの一部を実現すべく事」。デパートは舶来の空間の輸入であったわけです。異世界を物見遊山感覚で訪れることが、お買い物をするという行為と結びつく空間。これが日本人のデパートです。美術館を併設したり、展覧会を開いたりという欧米のデパートではあまり行われない仕掛けがあるのもそのせいではないかしら。展覧会については、欧米でも一部やってはいるみたいですけど、デパートにモナリザが来るとかはあり得ない!みたいな記事を以前読んだ記憶があります。
さて、ここからが本論です。つまりそういう消費システムとしてのデパートは、荘厳性や崇高性でもって、生きるために手に入れるという生々しい行為であるはずの、狩猟にも通じる買い物を「お買い物」に変えてしまう。しかしその荘厳性や崇高性を持っているデパート自体が、実は単なる消費システムであるという底の浅さを露呈することがあります。カテドラルが約束する天上の世界の永遠性が、それを模した消費の殿堂では裏切られることになります。パリのデパートであるギャルリ・ラファイエットは1912年にアール・ヌーヴォーの傑作といわれる新館を建てました。これは「たとえてみれば、ガウディのサグラダ・ファミリア教会がデパートに転用されたようなもの」(TITLE7月号)だったそうですが、アール・ヌーヴォーが廃れると無慈悲にも建て替えられてしまいました。
先生この話と、新東京タワーの建設に伴って現東京タワーがなくなっちゃうかも!という話に、何とはなしに共通項を見いだしてしまうのです。東京タワーを管理している日本電波塔株式会社が新東京タワーへの店子転出に伴う家賃収入減に耐えられないのではないか、という噂が立ったことがあります。wikipediaを見ると存続が検討されているみたいですけど、是非いつまでも残してほしいです。渋谷公会堂C.C.Lemonホールとかになっちゃうし。これは名前だけだけど。ランドマークって、都市のアイデンティティでしょ?あまり節操なく都市となりというか、都市の盤石性みたいなものを裏切るべきではないとおもうのよ。
というわけで、本日のお題の「デパート化する東京」につなげたいんだけど、何でこんなお題を思いついたかというと、次の映像を見て、東京ってデパートみたいに口当たりの良い空間がいっぱいあるなあ、と思ったからなのでした。

2000年11月22日にリリースされたPizzicatoFive最後のシングル「12月24日」です。これ、「さ・え・らジャポン」に入っているアルバム・バージョンと全然違うんだよね。こっちのVer.を期待してアルバムを買った先生はふかわりょうのギャグが挿入されたイントロに仰け反ったものでした。爆笑しましたけど。
PVはクリスタルのかけらが目一杯に散らばったような東京の夜景のうえに、静かに雪が降りしきる、という画から始まり、銀座や新宿、渋谷やレインボーブリッジの夜景が次々に映し出されていきます。3分41秒あたりから、空撮で東京タワーに迫っていくところがこの曲のグランドフィナーレですね。石井幹子プロデュースの照明で照らし出された東京タワー。そのスカートを広げたスリムな女性のような姿は、優美で儚くていつまでも見飽きません。実際先生このシーンだけ10回くらい見直しちゃいました。残業に疲れて、ふと窓の外を見たとき、そこにあって僕らを勇気づけてくれる東京のアイコン。
「電話も来なくなって一週間くらいたつけど、約束忘れてないでしょ」という一節の解釈によって曲のイメージががらりと変わります。一週間無連絡というのが当節のお付き合いに致命傷となるのであれば、来るはずもない相手を待って、でもクリスマスではしゃいでいる女の子の切ない歌なのか?それともどんくさい彼氏が一週間連絡をくれないのをしょうがなく思っていながら、クリスマスの約束に心を躍らせている女の子のキュートな歌なのか。先生前者だと思ってるんだけどね。そう考えると現在の東京の持っている刹那感がもたらす哀愁と、それでも美しい東京タワーっていう、ある意味今日の講義のテーマとすごくマッチした映像に見えてきませんか?
さて、きっと加筆修正すると思うんだけどとりあえず第1稿。今日はこの辺で。日直号令!