ひみつ基地

ひみつ基地暮らし。

こんな夢を見た

「憂鬱が降ってきたときにはね」と彼女は語り始める。
日曜の夕方、喫茶店「風車」は空いていて、店の主人は僕らにコーヒーを出すと、カウンターの向こうで読みかけていたスポーツ新聞に戻った。僕と彼女の間にはコーヒーカップが二つ。それが乗っている木のテーブルは、小振りだがしっかりした作りのアンティークファニチャーだ。
「憂鬱が降ってきたときには、あまり先のことを考えないことにして、そして目の前のことを確実にこなしていくことだけに集中するの。たとえば靴を磨くとか、水回りの掃除をするとか、ファイルの整理をするとか」
彼女は幾分細くなった、けれど相変わらずきれいな手でコーヒーカップを持ち上げ、一口すすって元に戻した。陶器がふれあう音。彼女は頬杖して、磨りガラスの向こうの夕暮れに目をやる。このアングルで見るとウェーブのかかった髪が彼女の顔をすっかりと覆い尽くしてしまう。とがった鼻の先がのぞいていて、ああ、この子痩せたなと僕は思う。
「最悪なのは何もやることが見つけられない時よ。自分の心が深い淵みたいに思えて、覗いても何も見えなくて、ただ風が吹き上げてくるだけのようなとき。そこから目をそらして楽しいことを考えようとしても、その淵は確実に存在していて、常に私に意識させる。おまえは空っぽだ。見るがいい、こんなに深くて暗くて、そしてそれを埋めるべき何かをおまえは持ち合わせていない、ってね」
ぶかぶかのサマーセーターは時代遅れの代物で、ところどころほつれている。彼女は常に自分に合わないサイズの服を着ていて、たいていそれは大きすぎる。頬杖をついた腕から、袖がずり落ちそうになっているのも昔のままだ。

調子が悪くなると僕はある夢を見る。それがこの喫茶店「風車」の夢です。
そんなときは、どうやってしのぐの?と僕は訊ねる。しのぐ、って、木下君らしい表現よね、と彼女は少し笑う。揺れる彼女のウェーブ。
「しょうがないから、動きたくなくても動くの。心の深い淵を埋めるために、少しづつ投げ込むようなイメージで勉強やら洗い物やらをする」
彼女は、心にあるという深い淵を表現するかのように両方の人差し指で空中に菱形を描いてみせる。ずり落ちそうになる袖。彼女の淵は菱形をしているんだ、と僕は思う。
「そうすると、いつの間にか淵がふさがっているわけ。きっとこれからもそうやって乗り切っていくんでしょうね」

淵を埋める作業をずっと続けていくと、いつか淵が埋まる。これはきっとこの夢が僕に見せようとしている解決策だ。
茫漠とした荒野で、ぶかぶかの服を着た彼女が深いクレバスに向かって土塊を投げ込んでいる様を、僕は思い浮かべる。それは気の利かないミュージックビデオのような風景だ。少し滑稽で、少し悲しい景色。風が冷たく、鼻の奥が甘いような、苦いようなにおいで満たされるその風景を、僕は次の言葉を見つけられないままもてあそんでいる。
実際の世界で、彼女に相当する人間は見あたらないのです。インナーチャイルドなのか、それとも過去のいろいろな交友関係が生み出した幻想なのか、彼女の正体は謎のままなのだけれど、夢の中では彼女と僕は久しぶりにあった友人同士。彼女は以前はグラマーで、一緒に海に遊びに行ったりすると周りの視線を一挙に釘付けにしたものだったが、何があったのか今はずいぶんと痩せている、というプロフィールめいたものがしっかりとあるのでした。僕らはとりとめのない話をしながら、夕暮れの幹線道路を通る車のテールランプを眺めるのです。
ちなみに「風車」は国道20号線沿いに実在する喫茶店なのですが、内装は夢に見るのとは全然違います。何なんだろうね。