ひみつ基地

ひみつ基地暮らし。

中目黒君の憂鬱。

中目黒君が、真っ赤な目をしてふらふらと部屋に入ってきたかと思うと「先生、僕馬鹿ですかね」と唐突にいう。
「馬鹿かどうかは知らんが、寝不足だろう」
「わかりますか」
「わかるよ、そんなに大きなあくびをして目に隈を作っているんだから。絵に描いたような夜更かし明けだ」
僕はコーヒーメーカーからポットを下ろすと、厚手のマグカップにカフェオレを作って渡す。
「これブランデー入ってます?」
「良い香りだろう?ディープローストのコーヒーとブランデーの香りは喧嘩することがないからね」
「もうちょっと入れてください」
「駄目だよ」
僕は自分の紅茶にコアントローを垂らして、安楽椅子に腰を下ろした。
「それで、どうしたんですか」
「実は僕、振られたんです、3月に」
これには正直、びっくりした。中目黒君は、あまり内側にため込んでおくタイプの人間ではない。酒に酔うとよく彼女の話をしていた。それが一体、どうして?
「よくわからないな。この間も一緒に遊びに行った話をしていただろう?」
中目黒君は大きくため息をついた。メガネを外し、パッドをじっと見て、それからまた掛ける。
「好きな人が出来たっていう相談をされたんです彼女に。それで"中目黒君とはもう付き合えないけど、遊びに行ったりご飯を食べたりは今まで通りしましょう。だって友達なんだもの"っていうんです」
「なんか痛々しいな。あの飄々とした彼女、そんなこといったのか」
「で、それからも普通に会って遊んだりしてるんです」
「それでお互い納得しているんだったら別にいいけど、中目黒君それでいいの?なんかいつもの君らしくないよ」
「うーん、今回は僕、駄目です。彼女に惚れてしまっていて、で確かに恋人関係で無くなったからといって余所余所しくするのも不自然かなと思うんですよね」
中目黒君は力なく笑った。それから僕を制して言った。
「言いたいことはわかりますよ、先生そういうの白黒つけるほうが好みですものね。でも僕は未だに彼女が好きだし、彼女とコネクションを持っていたいんです。それが例え、こういうかたちであっても」
「けなげっていうか未練たらしいっていうか、僕には判断が付きかねるな。まったく、君はチャールズ・マクドナルドか」
「誰ですかそれ」
シェリル・ドレイクって女優がいてね、チャールズはその付き人だったんだが、内心はシェリルに心底惚れていたんだ。で、付き人としてずっとシェリルに付き従っていたんだよ。その後シェリルはアラブの王族と結婚して子供を授かるんだが、死んでしまうんだ」
「今の僕には笑い飛ばせない話ですね」
シェリルの死後、チャールズは今度はその子供に仕える執事としてアメリカで生活を送るんだよ。僕のスタイルではないけど、そうまでして付き従うって言うのはひとつのスタイルっていうか、ポリシーだよね」
「そこまでの覚悟は、僕にはないですけど」
中目黒君はため息をついて、コーヒーカップを置いた。
「ここ3日くらい、深夜に彼女から電話がかかってきて、僕はそれに真面目に付き合って、明け方まで喋ってるんです。彼女の恋愛の話なんかを。それで次の晩には、前の日の深夜電話がダメージになっていないかっていう話でまた盛り上がっているんです」
メガネを外して、鼻梁の両側をほぐすように指を沿わせる中目黒君。
「それで彼女、想っている人の話するとき、なんていうか本当に恋する女の目をするんです。抱きしめたくなっちゃうくらい可愛い、切なそうな瞳なんです。瞳の奥には炎が揺らめいてるみたいだし。でもそれ、僕に向けられた瞳じゃないんですよね。なんか無間地獄な気分です」
今度は僕がため息をつく番だった。馬鹿だなあ中目黒君。まあ、今の状態で何を言っても、おそらく無駄だろう。
「しょうがないね。ビタミンをたっぷり取って、肌荒れには気をつけたまえよ。あと仮眠してっていいから。しばらく仕事しているし」
「すみません」中目黒君は僕が差し出したサプリメントをボリボリ囓りながらいった。それから机を並べて昏倒するように眠った。

さんざん寝倒した中目黒君が帰ったのが21時。何となくいらいらして猫足で皇居まわりを一周。