ひみつ基地

ひみつ基地暮らし。

時をかけるおっさん

北向きのトイレのドアを開けると、逆光の射す窓からは大きな自動車整備工場が見える。そこは工場の裏に面していて、タオルやつなぎが干してある裏庭で、整備工が白いコンクリートの壁に、ボールを打ち付けて遊んでいる。おいおい就業時間中じゃねえの?と思いながらアサガオの前に立つと、強いカルキの匂いがした。
コンクリート、カルキ、逆光、青空、ボール。
瞬間にして記憶が数年前の夏に飛ぶ。風の強い日・プールサイド。立ちくらみのような感覚。鼻の奥のつんとする感覚や、手触りまで蘇る。それがあまりにリアルで、一瞬混乱する。会話まで思い出した。そうだ、附属小学校のプールで泳いだときだ。二人して昼寝しながら話した、なるべく同じところを通らずに散策する方法。

「小立野から飛梅の学園前で左折して厚生年金会館の前を通ってさー」
「うん」
「博物館と美術館の前を通って、広坂まで抜けてさ」
「うん」
「そっから香林坊まで出て、ちょっと買い物して。109と大和とアトリオ見てさ」
「うん」
「で、柿木畠まであるいて、うつのみやで本買って」
「うん」
「それから堅町行って服屋ひやかして、そこまでは良いよ。王道だよね、散歩コースとしてはさ」
「ベタだよね」
「こないだはそこからいきなり啄の方に行くからさ、まだ時間早いしどうすんのかなと思ったら村田屋で女将さんと談笑でしょ?ちょっとあり得ない展開でびっくりしたよ」
「仲良いんだ、あそことは。ちっちゃい庭園があって、可愛いでしょ。一休みするのに丁度良い」
「うん、お茶も出してもらって」
「出がらしっぽかったけどね」
「あはは。でもさー、なんか一筆書きできないよねーそこからのコース」
「片町に出ちゃえばいいじゃん。あんまり見るとこ無くてつまんないけど」
「うーん…でも交差点近くの雑貨屋が面白いか。大きめの荒物とか扱ってて」
「あそこで売ってるブリキのバケツが欲しいんだよな」
「あの、体育館とかにあってもおかしくない奴ね。あたしも欲しいー」
「しっかし、よく歩くよな僕ら」
「よく歩くねえ。おかげで私は便秘知らずだよ」

白昼夢です。
気がついたら隣の便器の前に、ソウダテさんっていう定年直前の社員が立っていて、同じく白昼夢を見ながら放尿しておられる。
植物めいたその風貌からは全く内部の思考が読み取れない。この人は何を思い出しているのだろう。それとも、何も考えていないのかな?ソウダテさんは目を半開きにして、タンクを空にすることに没頭している。味噌漬けのような匂いがソウダテさんの全身から立ち上っている。何となくぞっとして、急いで席に戻る。