ひみつ基地

ひみつ基地暮らし。

訳曲とは

音楽を聴いているときに映像が浮かぶことってありませんか?私にはあります。ほんの数曲ですけど。たとえばショパンのバルカロールは、水面に映る陽の光とか、船遊びするご婦人が暖かい水面に手をさしのべて跳ねかす水しぶきとかを想起させるし、エデンの東のテーマを聴くと、何でか知らないがヘリコプター空撮の風そよぐ草原を思い出します。自分の知らないところで、あるいは覚えていないところである曲が特定の映像と結びついてしまっていて、曲が再生スイッチになっているようなんだが、いったい何なんでしょう。
その映像を文章にすることを訳曲(仮称)と呼びます。今決めました。訳曲の文章を読んで、逆に楽曲にたどり着くという再翻訳は可能なのか?とか興味は尽きません。いや無理でしょうけどね知ってますけどそんなことは。
では、つたない訳ですがご披露いたしましょう。お題は最後に。
うねるように始まるベースのリフは豹の背中の筋肉の盛り上がりを思わせ、そこにかぶさってくるパーカッションが、暗く深いジャングルへと聞くものを誘っていく。その否応なさ。多少湿気を含んだ濃密なジャングルの大気だ。密やかな、張りつめた夜の気配。
そこにそっと入ってくるエレピのバッキングは偶蹄類の足取り。たぶんヌーか何か。ドラムのフィルインに追い立てられるように、並足で走り始める。時たま立ち止まり、不安そうに周りを見回す。スキャットのコーラスは濡れた瞳が梢の先に追い求める凍ったような月。
ブラスがとぎすまされた肉食獣の足取りで走り始める。狩りが始まり俊敏な豹に追いつめられていくヌー。エレピのソロでヌーも多少の駆け引きをみせるが、パーカッションが紡ぎ出す大気はちりちりした焦燥感でいっぱいになり、ついにブラスが始まって豹の狩りも最高潮。首筋にまとわりつく豹が黄ばんだ牙を剥き、すべてを悟って諦めたヌーの大きく見開かれた瞳に映る、冷酷なまでの白さで天空に輝いている月。

"Thinking 'Bout Tomorrow"/incognito