ひみつ基地

ひみつ基地暮らし。

木下先生講義録

はい皆さんこんにちは。今日は音楽の話ではなくて映画の話です。教材は2006年の映画「リトル・ミス・サンシャイン」。例によって考察は半端ですし、ネタばれがありますから、受講したくない人は講義室から出てかまいません。出席にしときますから。
この映画、主人公のオリーヴが兎に角可愛らしい。このオリーヴの一家がワーゲンのバンでミスコンへ向かう道中、次々とハプニングが起こるっていうお話です。興味深かったのは一度として予定調和的なハッピーが起きないことです。ホント、救いようがない。
たとえて言えば、こんな感じです。幸せを形作っている固まりは、実は薄い毛布の集合体みたいなものだと思ってください。その毛布が一枚また一枚とはがれ落ちていって、ぎりぎりの幸せと不幸せの境界くらいまでの状態でオリーヴの一家は旅に出るわけ。それで道中ハプニングが起こるたびに、毛布が一枚一枚はがれていくのでした。作っている人はサド趣向のある人なんじゃないかと思ってしまう。その割には(あくまでその割には、です)明るい映画に仕上がっているのは、ひとえにオリーヴの無邪気さと可愛さのせいでしょう。コメディ映画としてみれば笑えるし、ほろりとさせられるところもあるけれど、毛布がはがれたあとに残っているのは家族の絆だけ、といった体たらく。家族ってそこまで体重をかけていいものなのか、はなはだ懐疑的にならざるを得ないけどね。
そこまで考えを進めると、この映画、凄く現代的な課題を扱っているんじゃないだろうかという気分になります。おじいちゃんはおじいちゃんらしく落ち着いて、父親はどこまでもたくましく頼りがいがあり、お母さんは家庭的で、お兄ちゃんは利発で明るく、末っ子は無邪気で可愛らしい。というのの真逆なんです、末っ子以外の役どころは。その末っ子ですら、ミスコン(アメリカの子供のミスコンの醜悪さが映画には描かれている)に出るためにイカれたおじいちゃんに教わったイカれたダンス習得を無邪気にがんばっている。ちなみにそのダンスのイカレ具合は最後まで隠されていて、それが毛布の最後の一枚です。この最後の一枚が、今まで救いのない中で唯一の希望だっただけに、その毛布がはぎ取られるときは衝撃もひとしおです。いや別にそんなに衝撃でもないんだけどね。ブルータス、おまえもか!って感じというのがぴったり来るでしょうか。本人は至って真面目なんだけどね。いやオリーヴだけじゃない、みんな真面目にやっているんだけどね。
この映画を観ていて、先生憂鬱になってしまいました。コメディのくせにすべて笑ってすませられるような無責任かつ爽快なカタルシスが用意されていないせいです。だけど、それをつまらないとか駄作だとか言い切れない説得力があるんだね。
すごく端折った言い方をすれば、思想やら地域社会やら国家やら、皆のよりどころとなってきたオーディナリーな社会システムがどんどん解体されて、それは家族の構成員の役割にも及んでいる。つまるところ個人の有りようを既成のシステムの中に求めようとしても空しいだけで、自分自身に自信を持ちなさい、ってことなんだろうけれど、個人のたくましさがすごく求められるよね。それだけ強くならないといけないわけだ我々は。でもそんなマッチョはこの映画のどこにも出てこない。それが説得力につながっているわけ。侮れません「リトル・ミス・サンシャイン」。
さて、先生明日からも強く生きるために今日は英気を養うことにします。日直号令!