ひみつ基地

ひみつ基地暮らし。

木下先生の部屋

「木下先生、何見てるんですか深刻そうな顔をして」
「ああ、中目黒君か。また何か相談事かな。それとも夢見が悪くてびびっちゃってトイレに行けないとか」
「人聞きの悪い。先生ほど変な夢見ないですよ。予備校に向かう途中の洞窟で山岳民族に撃たれたとか」
「山岳民族の夢の話はおもしろ半分にしないでくれたまえ。ほんっと、怖かったんだから。ところでなんの用だい?この部屋あれだよ他の先生来ないんだよ、馬鹿がうつるって」
「いやー先生のところ、校内にありそうもない物があるから重宝しちゃって。そうそう、先生『あ、安部礼司 脚本集 SEASON 1』あります?あとトルクレンチと、えーとあとなんだっけ」
「どれどれ、リストを見せてみなさい。氷下魚の一夜干しと、ロイ・ブキャナン&ザ・スネイクストレッチのCD…?」
「ありませんか?」
「あるけど?あ、でも安部礼司は貸せないよ。今ハマってるんだから」
「…当然って顔して全部あるんですね」
「変かい?」
「変ですね」
「…中目黒君、君は僕を馬鹿にしに来たのか」
「いえいえ、ほら、じゃーん」
「魔王か。許そう」
「それよりなんだったのですか、先生見てたのって」
「これだよ、川村ゆきえ

「…先生、ここ校内ですけど」
「いいんだよどうせ来るの中目黒君くらいなんだから」
「お、球形の氷。タンブラーも冷えてる」
「そのEPIガスカートリッジはもう使えないよ。氷下魚を焼くならブンゼンバーナーと網を使ってくれたまえ。あと換気扇回してね」
「…当然って顔して教職員がこっそりやる通常範疇を超えて呑む段取りが出来るのですね」
「おかしいかい?」
「おかしいですね」
「…中目黒君、魔王もってきたの君だろ」
「で、なんでこれが深刻なんですか」
「うん、実はね…」

実に感傷的な話なんだが、僕はあまりアイドルなどにうつつを抜かすタイプじゃないんだ。しかし、ある女の子の写真にはまってしまったことがある。川村ゆきえじゃないよ。仮にエム・エムとしておこうか。まるで薄井ゆうじの小説に出てくるウェイトレスみたいだね。そのエム・エムの写真はこんなだった。
背景は朝が来ようとしている蒼い空だ。高層ビルの隙間から見えるその青は寒々として、まだ希望に満ちた朝の光が昨晩の不安を一掃する前の硬質な、だけど結晶のように美しい一瞬なんだ。
そこにあおり気味のライティングに照らされたエム・エムがベランダの手すりに座っている。すとんとした黒のキャミソールを着て、細くて長い手でまっすぐな身体を支えて横を向いて、で、顔だけこっちを向いている。視線はカメラの向こう側を見ている。それでその子、笑ってるんだ。ほほえんでいるというかな。達観したみたいな、何も考えていないみたいな、そういうほほえみ顔なわけ。よくある満面此笑顔!的なアイドル顔ではなく、中性的で脱力していて、媚びてるわけじゃなく、かといって拒絶しているわけでもない。それが背景の青と相まっていい雰囲気を作っている。なんていうか、十代後半のすごく儚い美しさってあるでしょ?若くてそれを享受しているときには、あまりそういう儚さを自覚することって無いけれど、ふっとそれが一過性の幸せであることに気付くことがある。ちょっと不安になって、それでも今の自分の若い美しさはうれしい。その狭間感みたいななかで悟ったような顔をした一瞬、みたいな写真。
僕はその写真に恋をしたのじゃないかな。
で、僕がその写真を見つけたのが、彼女が事務所の移籍騒動で芸能界からかき消えてしまった直後っていうタイミングなんだよ。その何ともいえない魅力のある写真を一枚僕の前に残して、彼女エム・エムはいなくなってしまったんだ。本当に、全く、きれいさっぱり。
で、その話をふと思い出しつつ、仕事の資料を探していて偶然見つけたのがさっきの映像だ。すごく扇情的で、自分の商品価値を全面に押し出しているだろ。『小悪魔でしょ?つぶらな瞳でしょ?イノセントでしょ?でもエッチな体つきでしょ?』みたいなさ。『イノセントでしょ?』って、イノセンスをぶっ壊すアピールだよね。なんだかここまでアイドル性のエッセンスをひとつひとつパーツに分解して見せつけるのって、逆に興ざめでね。アイドルの舞台裏を見せちゃっている気がするのさ。
けれど僕が深刻だと思ったのは、普段こういう商品を僕自身が抵抗なく受け入れる人になっているんじゃないかってことさ。こういうのって即物的で想像力がいらない気がしてさ。だからもっと自覚して、感覚をとぎすますようにしないといけないなって考えていたところなんだ…

「先生」
「なんだい中目黒君、若干酔いが回って目が据わってるようだが」
「よっくもまあそこまでいろいろと考えられますね。エム・エムにせよ川村ゆきえにせよ、所詮idolなのでしょ?二人の違いは商品としてのターゲットの違いだけですよね。川村ゆきえ結構じゃないですか。消費者のニーズに合わせて商品が作られるわけですから、こういうのが好きな人が見ればいいのであって、先生がそれに対してごちゃごちゃめんどくせーことを言うのが鬱陶しいですねぼかあ。そもそも先生、ご託がすぎますよ。だから合コンに行っても煙たがられるかいい人で終わるかどっちかなんですよ」
「…痛いところつくね中目黒君」
「大体何が気にくわんのですか」
「気にくわんってわけじゃないんだが、仕事の資料探してたら思わぬ映像を目にして時間を無駄にしてだね」
「時間を無駄にって、つまりなんですか、先生川村ゆきえ見て鼻の下のばしちゃった自分に自己嫌悪してるってことですかあ〜っはっはっはぁ」
「酒癖悪いなあ中目黒君。笑い声がテンプルにカチンとくるよ」
「ところで、そのアイドルって誰だったんですか」
「まあ、言わない方がいいだろうね。ほらインターネットって色々怖いからさ」
「えーヒントはぁぁぁ?」
「媚びても可愛くないよ中目黒君。そんな川村ゆきえみたいなポーズはやめなさい」
「ちぇ。じゃあ、氷下魚ごちそうさまでした。レンチは明日返しますね」
「あー中目黒君」
「なんですか」
「ここで呑んだって他の先生に言うなよ。それから安部礼司は置いてきなさい」