ひみつ基地

ひみつ基地暮らし。

卒業式

「すっかり春めいてきましたね…あ、ジンの香りだ。あとミント」
「ああ中目黒君こんにちは。どうぞ入っていらっしゃい。って、なんでドアに張り付いているんですか」
「先生この間呑んだときのこと、覚えてないでしょう。
『なぁかぁめぇぐぅろぉ君、君はぁ、デリカシィってぇものがぁ無いよなぁぁ』
『なにをゆってるのですか木下先生』
『佐東君に涼音さんって誰ですかって訊かれたぞぉ中目黒くぅん』
『どきっ。ってしながら訊ねますが、先生私に口止めしましたっけ』
『そういうことってさぁ、察するものじゃないかぁ大人としてぇどうなのその感性は中目黒くぅん君はぁデリカシィってぇものがぁ』
これの無限ループですよ」
「あ、そのこと」
「なんか木下先生根に持つタイプっぽいから」
「いや、そんなに気にしちゃいないんだ。それよりも佐東君が出てくるくだり、書きっぷりがぞんざいでね、そっちの方が気になるんだブツブツ…」
「人物描写に深みが無いんですよ」
「だってさ僕高校生だったのもう20年も前だぜ?そのころどんな話を女の子としていたかなんて覚えちゃいないんだよ。それにノってないときに文章書くと疾走感がなくなる癖が抜けないんだ」
「先生、楽屋落ちはみっともないです」
「…しらふの中目黒君にたしなめられるって屈辱だねぇ」
「そういう先生はもう呑んでるのですか。昼間ですよ」
アジアンタムが元気でね、うれしくなってさ」
「そういえばすごいボリュームのある鉢植えですね。どうしたんですか」
「温室栽培で冬にも湿気を十分与えてやるとこんな風に痩せずに育つそうだよ」
「で、ジンにミントの葉を入れて呑んでると」
「本当はミント・ジュレップにしようと思ったんだけど、バーボンウィスキーが無くてね」
「フードプロセッサーでクラッシュアイス作ったんですか?まるで雪ですね」
「ほらほら、ぞんざいにスプーンをつっこむとプロセッサーの中でクラッシュアイスが氷の固まりになってしまうよ」
「昼間から呑むのって幸せですよね。昭和のアイドル歌謡なんかを聴きながら。若干のマニア臭を感じる選曲ですが、この曲はなんですか」
「これかい?これはね、おニャン子クラブの『じゃあね』っていうんだ。卒業のシーズンになると思い出すんだよ」

高校の卒業式には出られなかった。
当日は高校から遠く離れた土地で受験していたんだ。悔しいから卒業式当日にサークル室に祝電を打った。当時、仲間内では突飛ないたずらができる人間が尊敬される風潮があって、学校もそういうのを寛容に見ていたふしがある。懇意にしてもらっていた事務員のお姉さんに電報が届くことを伝え、確実にサークル室に届けてくれるようにお願いまでした。今考えると迷惑な生徒だったと思うけど、お姉さんは笑って、分かったわ、と言ってくれた。
受験も済んで春休みに突入したある日、学校に卒業証書を取りに行った。晴れた平日の昼下がりだった。先生に挨拶をすませ、卒業証書を持ってサークル室に行った。電報は掲示板に貼ってあって、ちゃんと届いたのが分かった。みんなはそれを見てどんな反応をしただろう。驚いたりあきれたり、笑ったりしてくれただろうか。
僕にそれを確かめるすべはなかった。
主を失ったサークル室はがらんとして寒々しかったので、ラジオをつけてからロッカーの掃除を始めた。埃が舞って差し込む光の筋が浮かび上がっていた。
2年生くらいからこの部屋に通っていたから、ため込んだがらくたも結構多かった。それらを整理して、ゴミを片づけ、さて帰ろうかと思った時にラジオから流れてきたのがこの曲だったのさ。
体育館履きとか、しおれた花束とか、みんなからの寄せ書きとか、いっぱい両手に抱えたまま、ぼろぼろ泣いた。
「そういう生徒が今いたとしたら、先生どう思います?」
「自分のサークルに祝電打っちゃうような奴?心底鬱陶しいと思うね」