ひみつ基地

ひみつ基地暮らし。

櫻の園

食わず嫌いのない映画の観方をする。偏っていたとしても、せいぜいスター・ウォーズはエピソードIV〜VIの方がエピソードI〜IIIなんかより全然面白い!っていうのを譲らない、とか、アイドル映画は怪盗ルビィ以外認めない、とかくらいのもので、つまり至極まっとうで小市民的な映画ファンである。
あまりくどくどと文句を言うタイプではなく、そのせいか「木下君と映画観てもつまらないわ。だって、面白かったね、くらいしか感想言わないんだもの」とか失礼なことをよく言われる。
僕も男だからそこで一念ホッキして「やっぱりウディ・アレンのニューヨーク・エバンジェリスト振りってのはホント盲信に近いよね。退屈な日常の愚痴もニューヨークで美女相手であれば小粋になると思っている。ま実際彼の映画が証左してるけど」とか、「イーグルのシンボルがアメリカのメタファーとして機能しているからこそ、今の国際情勢を皮肉っていたと思わないかい?」とかとんちんかんな話をしてやると、大体女の子はみんなチュチュを着たエーベルバッハ少佐を見るような目をしてきっちり1.3メートルくらいの距離を取るようになる。ざま見ろってんだバカ野郎。映画ってのはひとりで観るもんなんだよぉ。
話が逸れました。えーと、なんだっけそう櫻の園だ。僕が一瞬にして中原俊のファンになったのは1990年、アルゴ・プロジェクト配給の「櫻の園」を観てのことである。舞台は伝統ある女子校、例年恒例行事であるチェーホフ櫻の園公演の開演直前の群衆劇である。記念写真を撮る白島靖代中島ひろ子を息を詰めて見つめるつみきみほの孤独に共感した。

そんな生徒達を見守る大人の視線が絶妙のタイミングで入ってくるのがまたよかった。先生達が毎年の行事として櫻の園公演を語る、その場面でカメラは桜の木が揺れる校庭を横切っていく猫を捉えていた。
脚本はじんのひろあき、音楽はショパン前奏曲第7番イ長調の主題をモンポウが変奏曲として作曲したもので、演奏は熊本マリ。それがバックに流れる桜の花びらが散るトレイラーがまたお気に入りだった。
って書いているうちにトレイラー見つけた。BGMはモンポウではなかったですね。

そのリメイクが11月8日に封切られて、観にいったのだけれど、やっぱり1990年のイメージが強くていまいち入り込めなかった。っていうか、はっきり言ってオスカープロモーション臭がつよすぎてなんか宣材映画か何かみたいだった。意味なく出てくる上戸彩とか、ちょい役の割には悪目立ちする米倉涼子とか。大体、菊川怜に優等生的先生をやらせて何が面白いのだ。てな話をしていたら周りに半径約1.3メートルの真空ができました。
ていうのが今日の落ち。ささ、よい子は早く帰った帰った。もう看板だよ。
蛇足だけど、松村栄子の1991年芥川賞受賞作品「至高聖所」の主人公の孤独は1990年版「櫻の園」のつみきみほのそれにすごく似ている。と個人的に当時思っていた。