ひみつ基地

ひみつ基地暮らし。

Born To Be FREEE!!

土曜日、夕方から友達と待ち合わせて自転車関連の買い物。北参道駅の周辺地図になるしまフレンドが載っていて笑った。それだけニーズがあるってことか。
買い物を済ませてから散歩がてら代々木に出て、「ふうが屋」でディナー。ビニャ・マイポをひと壜開けていい気分になっている僕が考えていたこと。
酒井法子が逮捕されて、いろんな特集が組まれて、ああそうだこの子「男のコになりたい」でデビューしたんだ、なんて思い出したり、この子のアイドル振りって肩の力が今ひとつ抜けきらなかったイメージがあって、やっぱりアイドルって枠に人間を入れると出っ張ったり引っ込んだりした部分を否定されたりしてストレスになったりするのかな、なんて考えたり、そもそもアイドルはうんこしないっていったのこの人だよねって調べてみたり、この手の職種の職業的偶像とプライベートのパーソナリティの境目ってどこでつければいいんかなって思案してみたりしていた。
あるビデオの中で酒井法子が「大人はずるい。ずるくて当然だ。それまでの努力の結果が大人としてのポジションであり、それをどん欲に楽しむ人間でありたい」って喋っていたのが印象的だった。いやなに、それを薬物摂取の動機と結びつけるなんていうどこかのワイドショウの資料ビデオ編集みたいなことをするつもりは全然無くて、気になったのは、大人って本当、ずるいと思っていたので、ちょっとシンクロニシティを感じてしまったから。
僕は自由だ。どれくらい自由かというと、自由であることを意識することも少ないくらい自由な大人だ。だから自由じゃない若い人たちからDo not trust over 30とか言われる。
でもそれは仕様がないことだと思う。そういう帰着点がなかったら理不尽を声高に叫ぶunder 30たちが輝かない。我彼は陰と陽の関係であり、それは陸続きで、分水嶺は見あたらない。
自由を確かめるための足場が常に必要で、そのためにわざわざケージに入って、不自由の手触りを楽しんでみたりするくらい自由。そんなずるくて自由な大人であることに、たまに不安を覚えたりするのは、やっぱりまだDTOTの精神のかけらがどこかに残っているからなんだろうか。そしてそれって良いことなんだろうか。甘えた大人って醜悪だよな、とかいろいろ考えつつ、やっぱサマソニって感動する?とか、東京湾花火大会に男同士で行くってありなの?とか、全く関係ない話をしていた。
頭上では代々木DoCoMoタワーが、どこか遠くに向けて航空灯を明滅させている。



風の匂いのように/雨のにじみのように
枯れてまた春に萌える草のように
しなやかなこころで生きなさいと/なみだぐむ景色
景色がわたしを見た