昔と今、今と、昔。
- 作者: V.E.フランクル,霜山徳爾
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 1985/01/23
- メディア: 単行本
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まず、長くて詳細な解説によるバックグラウンドが思考の中に形作られる。各収容所の概要、そこで何が行われていたか、など。それが脳内に舞台をつくり、そこにフランクルが登場。彼の体験・記録が展開される。写真などの資料が淡々と事実であることを念押しする。
で、最後に、今まで与えられていたパーツだった知識が有機的に連鎖し始める瞬間がやってくる。今の僕の頭の中をぐるんぐるんしているのはこんな言葉だ。
- 一国家が、組織的に、ある民族を、集中して、効率的に、消滅させるシステムとして動く。
- そのパーツとなったのは僕らと変わらない普通の人間。
- で、それは遙か悠久の彼方の時代でなく、ほんの70年前に起きたこと。
- この間女の子と行った科博で見た零戦。あれだって70年前で、それって古い時代の機械だろうという問いかけを覆す普通の機械(尾輪とか、今のキャスターと大して変わらないし、航空灯のアクリル細工とか普通に今でもありそう)で、そういうところに感動してよだれを垂らしそうな勢いで見ている僕を彼女はあきれて見てたけど、
- つまりそういう、今とほとんど同じ機械やらパーツを用いて飛行機を飛ばしていた、今とほとんど同じような考え方をする、今とほとんど同じような技術者が作る、今とほとんど同じような機構を組み合わせて作った人を殺すためのいくつかの収容所。
- と、そこで約1,200万人が殺されたこと。
- 誰もそれを止めなかったことが怖いけど、もっと怖いのはそれをまたやってもおかしくない人や組織や国家間のいがみ合いがいっぱいいるしあるし、僕もそれに荷担するかも知れないってことがホント怖いマジ怖い。
- 同じ組織で働いていた人間が日々いじめに近い指導を受けて結局倒れた、それを間近に見ていたのに止めることをしなかった僕は、荷担に対してNoって言えるんだろうか。
- そして今管理職になっている当時の上司=いじめの張本人は、僕が今、「夜と霧」を読みながらこんなことを考えていることを知らないだろう。
「我々が労働で死んだように疲れ、スープ匙を手に持ったままバラックの土間にすでに横たわっていた時、一人の仲間が飛び込んできて、極度の疲労や寒さにも拘わらず日没の光景を見逃させまいと、急いで外の点呼場まで来るようにと求めるのであった。
そしてわれわれはそれから外で、西方の暗く燃え上がる雲を眺め、また幻想的な形と青銅色から深紅の色までのこの世ならぬ色彩とをもった様々な変化する雲を見た。そしてその下にそれと対照的に収容所の荒涼とした灰色の掘立小屋と泥だらけの点呼場があり、その水たまりはまだ燃える空が映っていた。感動の沈黙が数分続いた後に、誰かが他の人に『世界ってどうしてこう綺麗なんだろう』と尋ねる声が聞こえた。」