ひみつ基地

ひみつ基地暮らし。

ドリフト・シンドローム

「木下先生」
「…」
「先生ってば!」
「ああ、中目黒君か。ちょっと静かにしていてくれたまえよ」
「何読んでるのですか先生。まるでマリー・キューリーのようでしたけど」
「読書に集中して後ろに椅子を積み上げられても気がつかなかったってあれかい?中目黒君、小さいとき偉人の伝記読まされた口だろ」
野口英世は僕のヒーローでした。すぐにシュバイツァーに変わりましたけど」
「ベタな子だったんだね中目黒君って」
「大事に育てられたんですよ。なんですか『海嶺』って」
三浦綾子だ。今まで食わず嫌いしていたんだけどね。辛気くさい文章を書く人だって勝手に思い込んでいたんだが、これが思いの外面白いんだ」

海嶺〈上〉 (角川文庫)

海嶺〈上〉 (角川文庫)

15歳の音吉が鳥羽浦から千石船に乗り込んで遭難・漂流し、アメリカ大陸に漂着し、保護されて、故郷を、許嫁を思って日本に帰ろうとする話だ。僕はこの話、どういう結末になるか知っている。幾年か経って成人した音吉は、アメリカだかオランダだかの捕鯨船にのって日本に帰ろうとするのだが、故国を目前にして鎖国時代の幕府に打ち払われる筈だ。今はまだ、そこまでは読んでいない。
地下鉄に乗っていても、職場で昼、休んでいても、ひとたび続きを読み始めると、どこであろうが漂流が始まる。壊血病に次々に倒れる仲間。それでも毎日のように伏し拝む八幡様やお伊勢様、船玉様などの神々。日課として欠かさない水垢離。船の修繕や、限られた食材で作られる食事。諍い。たくさんの別れ。懐かしい故郷。巧みな文章で綴られていく中で、時折挟み込まれる日誌が生々しい。記録している船頭の重右衛門がどんどん弱って、几帳面に記されていたのが段々と短くなり、ついに記録が途切れてから10日後に死んでしまうところとか、思わず涙ぐみそうになった。
まだ下ろしたての、皮の匂いが抜けないブックカバーを掛けた本を開けば、三田線だろうが、山手線だろうが、日比谷線だろうが、大江戸線だろうが、千代田線だろうが、僕は千石船の、あちこちに塩がふいた暗い船倉の神棚の下で一心に我が身と船の仲間の無事を祈る音吉や久吉に混じって遭難している気分になる。そして偉丈夫の岩松が無表情に考え事をしながら腕組みをしている様も想像できる。沈着冷静で感情を滅多に表に見せない海の男。僕は岩松を見ながら、ああ、僕もしっかりしなくちゃと思う。
気がつけばそこは地下鉄の車内で、僕はしばし今までいた漂流世界と現実のギャップに戸惑ったりする。

「先生、意外に想像力豊かなのですか?」
「なんだいその疑問符は。僕ってそんなに無味乾燥に見えるかね」
「少なくとも外見はね。岩・松!て感じですけど」
「君はチョロ松!て感じだな、中目黒君」