ひみつ基地

ひみつ基地暮らし。

砂の城。

携帯電話のメールは1000通まで保存できて、それを超えた分は古い順から上書きされて消えてしまう。
消したくないメールは保護しておくのだけど、それにしても500通くらい。
ある人とのやり取りが嬉しくて、相当数保護していた。つまらないのも、楽しいのも、一方的に想いを綴って、とんちんかんな返事をもらったのも。一緒に遊んだ帰り道、送ったメールの返事が来なくて待ちくたびれて、もう二度とメールなんてしないと誓った矢先に面倒くさそうなリプライが返ってきたのも、全部消えないようにロックしてあった。
しばらく経ち、いつの間にかその人とも疎遠になり、新しい友達も増えて、新たなメールアドレスがメモリーに入り、そして消したくないメールを保護したりしていたある日、携帯がアラートを表示した。曰く「これ以上メールを保護出来ません」。
受信ボックスを整理すると、しばらく開いていなかった受信ボックスの一番下のフォルダに彼の人とのやり取りがそのまま真空パックされていた。ある一時期感じていた芳ばしい雰囲気が周囲を包み込む。ひと通り読み返してみようかと思ったが、止めておいた。
「フォルダ内の全メール保護を解除しますか?」
「はい」を選ぶと、一瞬の間をおいてメールアイコンの左肩に付いていた鍵のマークが一斉に消えた。
その日の内にフォルダ内の受信メールの4分の1が消えた。タイムスタンプが古く、上書きされる順位の高い、そのフォルダ内のメール達は新しいメール着信のたびに容赦なく消されていく。打ち寄せる波に浸食される、砂の城みたいに。
思い出をなぶるような、そんな感覚が嫌で、でも一気に消し去ることもできずに、そのままにしてあるそのフォルダをこの間戯れに開いたら、彼の人との思い出の残滓は、去年の夏までが消え去っていた。
瞬間、時の断面からBill Evansの"Waltz for Debby"が聞こえた気がした。ガラスのかけらか輝くように耳の中に光がきらめいたようだったけれど、すぐに雑踏の騒音が全てを覆ってしまう。