ひみつ基地

ひみつ基地暮らし。

星の。

巻き毛はあくまでも愛らしく、いたずらっ子めいた瞳の輝きもそのままに、彼は立派なおっさんになっていました。はるか昔、バラの花と恋に落ちた純真無垢なその精神はいまやふてぶてしく、その日暮らしの不確かさに揺らぐことのない頑強さを持つようになっていました。着ている服はぼろぼろで、靴はつま先がぱっかり開いてしまっています。40を過ぎてなお、おっさんは肉体労働をしながら、吟遊詩人的放蕩生活を送っているのでした。砂漠でヘビにかまれたくらいでは死なない丈夫な身体も手に入れました。
さて、今日のねぐらはどこにしようか。おっさんは無精ひげを撫でながら思案します。近場の星を探して、そこで一晩の宿を請うとしよう。おっさんは小さな小さな星に降りていきました。夕闇が迫る小さな星は、ドレイプだらけの布に覆われているような様子でした。着陸したら、本当に地面は厚手のガウンに覆われていることがわかりました。おっさんは遠い記憶をたどり、そして思い出しました。と同時に後ろから妙にしゃちほこばった声が聞こえました。
「やあ、よくぞ戻った我が臣民。ワシを讃えにまいったか。悲しいから呑んでるが、これこのとおり話相手に不自由しておる。座んなさい、命令する」
王様は、幾分どっかの別人が混じったようなことを矢継ぎ早に語りかけました。手にしたグラスから、ワインが少しこぼれました。どうやら本当にかまってもらうことに飢えているみたいなのでした。おっさんは星全体に広がったガウンの裾をよけながら、早くも後悔しはじめていました。
おっさんがそんなことを思っているとも知らずに、王様ははしゃいでいいました。
「さて、何を話してくれるのじゃ。政治談義でもしようかの」
「お言葉ですが王様、この星には政治の入り込む隙間がないように思われますが」
そりゃそうです。この星にあるものといえばあふれんばかりのガウンと王座、そこに座る王様だけなんですから。
「何をいう。近頃新聞を賑わせている弱体内閣のことは、聞き及んでおろうが」
だって関係ないじゃん、この星から出ないんだから。と、おっさんは思いましたが、敢えて黙っていました。王様は続けました。「我々が支払う税金を使っている自覚が、奴らには無いのじゃ」
「王様も税金払うのですか?」
「ワシだって税金くらい払うぞ」
「ええ?何を?どんなかたちで?」
「消費税と、ガソリン税
「王様出歩いて買い物とかするんですね」
「当たり前じゃ。王様だって、食事はしなくちゃいけないし、自炊くらいする。たまに季節にあわせてポロシャツ買ったりもするぞ。西友のROYAL POLO CLUBのロゴが入ったやつとかな」
車はどうしているんですか?と訊ねると、ガウンを大儀そうによけて車庫の入り口を見せてくれました。中には日産ラフェスタが停めてあります。自動車税は払っているのか聞こうと思いましたが、止めました。
「でも王様、どっからお金が出てくるんですか」
基金からの取り崩しと、差し入れがあるのじゃ。だから働かずしてある程度の金銭的自由がある」
「へぇ、王様って高等遊民なんですね」
「みなワシの才能と愛嬌に心酔しておるから、お金には不自由せんのじゃ。お金だけじゃなく、毎日、花を届けてくれる者すらおる」
「才能って?」
「まず、頭の回転が速い。それに一瞬でギザ10見つけるとかも得意じゃ。ある意味予知能力的なものもある。加えてこの威厳じゃ。さらに謙虚さも兼ね備えておる。いうことなしじゃ」
「王様は色々な才覚をお持ちなんですね」
「そうとも。それに引き換え、お前は…」
王様はヒゲをひねりながら、無遠慮におっさんに視線を投げかけました。
「趣味は悪いし、マジ汚いし、ワシの足下にも及ばんな」
「趣味はほっといてください。汚いのは働いてる環境のせいだし、王様と比べる何物をも持ち合わせていないんです。だいたい働かずに生活できるなんて、僕には考えられないですよ」
「ワシは特権階級なのでな。世の忙事に煩わされずに、大所高所から箴言するのが仕事なのじゃ。お前ごときの考えは及ばんところにおるのじゃ。黙んなさい。命令する」
王様は顎を上げておっさんを見下しました。
「お言葉ですが王様」
「なんじゃい」命令したことも忘れて、王様が返事しました。
「全っ然、謙虚じゃないですね」
「そんなことはない。ワシは自分がどれだけ下らないか知っとる」
「下らないことを知ってることを公言することが即謙虚であることとはならんですよ王様。本当に下らないのは、下らないって知っていることを公言することで下らなさ加減が低減できると思ってるその心の持ちようです」
「お前面倒くさい」
王様は頬を膨らませました。「それに傲慢」
「生きる責任も負わずに高歌放吟するよりは、喰うために傲慢になる方がなんぼかましです」
いいながらおっさんは、自分があまりにも遠くに来てしまったことを実感していました。砂漠で飛行機乗りに逢って羊を貰った時も、長い距離を旅した気分だったのに、あのときはまだ、旅の入口でしかなかったのです。
寝床を諦めたおっさんが星を離れてしまったあと暫く経っても、王様は目が冴えて眠れませんでした。煙草をふかしながら虚空を睨んで、王様は同じところをぐるぐるめぐる考えを持て余していました。ワシ、下らない。ってことを知っているワシ、下らなくない。っていうワシ、下らない。ってことを知ってるワシ、下らなくない。っていうワシ、下らない…。鷲鼻がワイングラスの中に入ってしまっているのにも気づかず、王様はぶつぶつ呟き続けました。
一方そのころ、宿をとりそこねたおっさんは、ビールを呑んでから星空のもと横になり、さっさと寝てしまいました。夜露の光る巻き毛の下で、おっさんはキリマンジャロ山頂付近で凍りついた豹の夢をみていました。かすかに微笑んだその顔は、かつて王子さまと呼ばれていたころのあどけなさを微かに残していました。
キモい。