ひみつ基地

ひみつ基地暮らし。

さよならさんかく。

木下さん、あのね、と上目遣いに梨元さんが僕に話しかけたのは、松島駅の連絡通路、乗り換えに急いでいる途中だった。
なぜ僕らがそんなところにいるかといえば、これは職場旅行で、しかもそれは東京から鈍行で鳴子温泉に来るという乗り鉄のボスが鉢巻をして考えた、少数のマニアの趣味と職場旅行実現のニーズを折衷させる旅行計画の執行途中だったからであり、しかも終盤も終盤、沿岸部に帰る僕と東京から来た元職場の面子が分かれる直前、仙台に向かう途中だったからだ。
直前に、僕らは蒸し牡蠣の食べ放題にチャレンジしていた。隣に座っていて、早々にギブアップした梨元さんは、牡蠣の殻をむくことに自分のポジションを見つけて、すでにリタイヤ寸前だった僕ら男性陣に最後の鞭をくれ続けていた。それが天然ボケだということがわかっていた僕らは、半ば梨元さんにつきあう形で限界に向かって牡蠣を食べ続けた。これはひとえに、僕ら男性スタッフがジェントルでタフだったからだ。
いや、ジェントルでタフというよりは、前夜の飲み会の酔いが残っていたが為の所行かもしれない。派遣先の小さな街にある酒蔵が、今年は出来が良いと太鼓判を押して2日前に市場に発送を始めた大吟醸新酒を、140リットルのダッフルに数本詰め込んで持ち込んだ宴会は、ありがたいことに大いに盛り上がった。梨元さんは浴衣を着て、目元をほんのり紅色に染めてケラケラ笑っていた。
いずれにせよ、職場では結婚式の二次会のような格好をして、男性職場の中に舞い降りた場違いな「掃き溜めに鶴子さん」を、僕らは大切にした。実際梨元さんは優秀で、交渉ごとでも僕ら男にひけをとることなく戦ったし、負けるとひっそりと涙を流して、後はけろりとしていた。バックアップとフォワードのペアを組んでいた僕は、他のスタッフからはうらやましがられたりしたものだ。沿岸部に派遣されてからも、メールで仕事の進捗を教えてくれたり、バレンタインに、お帰りお待ちしています、なんていうメッセージカードをつけた懐炉を送ってくれたりしていた。
そんな梨元さんが、2ヶ月ぶりに再会した旅行会の最後、もうすぐ本体と分かれて沿岸部に戻ろうとする僕に声をかけてきた松島駅の連絡通路である。
秘密なんだけど、と言葉をつないで、それから小声で、社外コンペに応募したら、当選したんです、と梨元さんは言った。
僕はおめでとう、と小声で応えた。
それでね、木下さん、私帝建をはなれるんです。だから、木下さんが4月1日に帝建に帰ってきても、私はもういません。
ほんの少し沈黙した後、時限装置だね、と僕は言った。たった今セットされて、新年度第1日目に作動する装置。
梨元さんは?という顔をした。
僕らはこれからそれぞれの日常に戻る。僕は沿岸部で、梨元さんは東京で、今までどおり、通常業務を行っていく。それは今日までと変わらない、淡々とした連続だ。でもそれは、3月31日まで。そこで装置が発動し、僕らは新年度からはペアを組むことがない。
梨元さんは、そうね、といって微笑んだ。
じゃあ、またね。
またね。
仙台でひとしきり同僚や上司と挨拶を交わし、東京に向かう彼らを見送ってから、ひとりで別方面に向かう。お土産を吐き出しきって空になったダッフルバッグは、しぼんで張りがなく扱いづらい。そのふにゃんとした荷物を抱えて、僕は2両編成の気動車に乗る。車窓をのんびりと流れる風景は、枯れ草色のタペストリだ。沿岸部の春は、まだ肌寒い。そしてフキノトウのように、ちょっぴりビターだ。でも確実に、新しくてまっさらな季節が、皆と等しく僕にも用意されている。