ひみつ基地

ひみつ基地暮らし。

はつこい。

一本棹の舟を操って、阿螺川を横切る。セイタカアワダチソウの群生のなか、ひとところだけミヤコアシが茂っているのが入り江の目印だ。水面を漂うペットボトルや藻に覆われた人形を掻き分けて、舳先を茂みに突っ込むと、魔法のように舟は茂みを通り抜け、船宿の裏の小さな桟橋につける。
「おっちゃん、おはよう」
「おう。朝飯食ってっか」
頷きながらもやい綱を杭に引っ掛け、桟橋から船宿に入ると、客あしらいをする居間とは別の、賄い場に入る。
「今日も只飯なの?」となじりながらご飯を支度してくれるのは、船宿のひとり娘だ。制服の上に割烹着を羽織り、さんまの焼いたのを出してくれる。
「只でない。船賃だ」
娘を送るのが、ここのところ日課になっていて、その替わりに朝餉をいただくのが、暗黙の約束だった。箸を使いながら、自身の制服の袖がほつれているのを、我知らず隠すようにした。
とうさん、いってきます、と娘が割烹着を畳みながら声を掛け、桟橋に急ぎ足で出てくる。
「そんなに揺らすでない」
船縁を押さえながら苦言するが、息を弾ませた娘のいたずらっぽい笑顔に語尾を濁す。くそ。俺は何を遠慮しているのだ。船縁を乗り越えてちょこんと座る娘は、そんな思いを知ってか、妙にすましているように見える。
川面を渡る風が、少し肌寒い。制服の上着を脱いで、娘に渡してやる。
「いやよ、あなたが寒いでしょうに」
「漕いでるからな、暑いくらいだ」
結局、娘は上着を羽織った。詰め襟から覗く襟足の後れ毛が、風に震えている。
「部活の集まり、出るの」
「いや」
「何でよ」
「舟運があるから」
貧しいことに引け目を感じたことはない。身の丈に合った生活を、自らの腕で支えるのは清々しく、部活の楽しさも何となく現実逃れの嘘臭さを感じて、積極的に参加することをためらうこともあった。今日もそのような、天の邪鬼な感情が支配的な日のようだった。
「何でよ。つまんない」
見ると娘は、伏し目にしてむくれている。そして、部の活動計画を決めたり、役員を選んだり、予算を確保したり、といった雑事を捌く手間について、子細らしく愚痴を並べてみせた。
その舌足らずな主張に苦笑しつつ、そのようにうつつを抜かせる余裕に胸の奥がくすぶるような感情を覚えた。乱暴に棹を操ると、舟は不機嫌そうに揺れる。娘は喋るのを止め、怪訝な面持ちをする。その眩しそうな表情を避けるように、目を細め、棹をさす。上りはじめた太陽が、メビウスの輪のような反射光を投げかける。