ひみつ基地

ひみつ基地暮らし。

剛田派宣言・あるいはマヤ暦の向こう側。

練馬区某所の空き地に集まる人々。積み上げられた土管の上には旗竿が立ち、黄色地にオレンジの稲妻のシンボルが入った旗が翩翻としている。
やがてひとりが立ち上がり、旗竿の下で胴間声を張り上げた。

のび太くんは歳をとりません。何故か。いうまでもなく、あのご都合主義的解決策を麻薬のように提供しつづける、例の青い奴のせいです。セワシくんが奴を従えて登場してから、のび太くんの生活はフィクションになりました。本来身につけるべき危機回避能力や、コミュニケーション力を培うせっかくの機会に、罪のない顔をしたあのマシンはもしもしボックス?だとかどくさいボタン?だとかを与え続け、のび太くんの人生から挫折や退屈、葛藤などと一緒に加齢を奪ってしまったのでした。
のび太のくせに、生意気だ」
同級生の剛田武さんの発言には、人生に対して真っ向勝負しているものとしての自負と、剛田さん自らが乗り越えてきた道のりを、いとも簡単に他力本願で解決してしまう、のび太くんに対する軽蔑が滲んでいます。
そんな都合よく、お助けマシンが学習机の引き出しから出てくる環境など望むべくもない剛田さんの武器は、何を歌っても「ホゲエェ」としか聞こえない歌声と、暴力です。その限られたカードを最大限活用して、町の八百屋の息子としての生を全うする覚悟を決めています。ジャイアンプラグマティズムの唯一絶対の体現者です。
かつて、のび太くんを羨ましく思っていました。困ったとき、影のように寄り添うパートナーが、常にソリューションを与えてくれる。不思議なポッケで叶えてくれる。贈り物を出してくれる。それは本当に魔法のようで、そのような環境が理想だとさえ考えました。
今は、のび太くんを可哀想だと思っています。面倒な人間関係や、解決すべき課題。リアルな手応えのアスレチックフィールドが広がる現実社会を、彼は多分あの猫マシーン無しには渡れないでしょう。ライナスの毛布にしては、奴は多機能かつ雄弁すぎたのです。
未だにそういう穴蔵に頭を突っ込んで出てこない人たちには、もう期待しません。家にこもり、奇跡を待ち望むひと、月や星を占いの道具くらいにしか見ていないひと、魔法が人生を変えてくれると信じているひと。彼らはみな、マヤ暦が示す終焉の日に滅び去ってしまえばいいではないですか。あとに残った我々こそが、世界の秩序を造り上げていくのです。
今日はその、記念すべき日です。いま手持ちの、ある武器で戦うことを、我々剛田派は誓おうではないですか。この旗のもとで。そして声をあわせて、歌いましょう、我々剛田派が世界を席巻する、その日のために。
♪おーれーはジャイアン ガーキだいしょー!