ひみつ基地

ひみつ基地暮らし。

FM81.7「ひみつ基地」放送。

みなさんどーもお久しぶりです。中目黒君は年末年始の長期休暇を利用して家族とグレートバリアリーフに行ってしまっているので、今年はひとりの放送です。
今年は何といってもスキーで起こした頸椎および胸椎の骨折騒ぎがトップニュースです。生まれて初めて手術しましたし、長期入院も初めての経験でした。幸い、後遺症も残らず、仕事にも何とか復帰できました。感謝感謝です。望外に皆さんに支えられていることが実感でき、幸せを痛感してしまいました。こんな不心得者でも、気に掛けていただけるなんて、本当にありがたい。できればこんなことでなく皆様と幸せを共有したいものです。
それから沿岸部への災害復興支援に従事できたのも有難かったことのひとつです。あのような災害をまえに、ひとりができることはとても限られていて、そこに焦燥感を感じたりもしました。でもこの間沿岸部に赴いたときに自分が整備した施設がしっかりと役に立っているのを見て安心したものです。
もうひとつ現地に行ってよかったと思っていることがあります。被災地・被災者というステレオタイプな感覚が染みつく前に払拭できたことです。沿岸部の友達を持ってみると、困っている友達を助けるっていうのは、特別な感情ではないわけです。そういう平常の感覚から陸続きの先に被災地やそこに住む人々がいるわけであって、客体化・整理をあまりイージーにしすぎると、確かに自分の認識にかかる負荷は減らすことができますが、大切なものを誤って整理してしまう可能性がある。自分の中ではそれは差別にもつながりかねない危険な兆候として気になったものでした。
そして12月には雪面に復帰することができました。現在滑走日数7日。関節の付き方が変わったためか、頸が筋肉痛になるという不思議な感覚を味わっています。不整地の滑り方もぎくしゃくしていましたが、思い出しつつあります。失敗を糧にして、怪我をしない滑りを意識しつつ上達しようとおもっています。
何よりゲレンデに立ったときのあの感じがすばらしい。何度だって復活してやるし、いくらでも前に行ってやる、的な熱い感情を柄にもなく抱いてしまいました。そう、スポーツは生き方の表現手段のひとつなのです。手持ちの道具で何が実現できるか。40過ぎの体力も下り坂の人間が何を為し得るか、というのは、アスリートが記録を目指す姿勢とベクトル的には変わるところはありません。クオリティやステージは別ですけどね。
仕事的には帝健のネゴシエイターとして、タフな交渉術を実践中です。おかげで狸穴にはほとんどいけていないのですが、席は未だに在るらしい。狸穴は私に何を期待しているのでしょうか?一度整理しないといけないと思いつつ、今年はこんな風に来てしまいました。
選挙もあり、今後の日本について考える機会も多い年でしたが、世間の風潮として、地球をなるべく永く、人類にとって快適な状態に保つ、みたいな傲慢な論法がはびこっているのが不安です。何かを選択すれば何かを失う。それは私生活も、会社も、世界も、政治も、全部一緒です。バランスって大事だけど、何に対してバランスが必要かといったらそれは、求めるものよりも捨てるものに対してのバランス感覚が重要なんじゃないでしょうか。
僕には、冷静になって、深く考えることが必要です。大上段に構えて世相を斬るなんて以ての外、僕の目から見える狭い狭い箱庭のような世界で、考えることしかできないこの身の不甲斐なさです。
ささ、相手がいないとどうも自分語りが過ぎます。来年も皆様と楽しく過ごすことができますよう。そして幸せが、今年は例年になく早く降った雪のように、皆様の上にも、私たちの上にも、等しく降り積もりますように。