ひみつ基地

ひみつ基地暮らし。

たとえば、星を見るとかして。

双子座流星群が見える日だという。
恩田君と待ち合わせて飲む。今週末から職場旅行で渡道するのを利用して、ニセコ界隈の渓流で大物を狙うんだ、と恩田君。そのためにボルダリングジムにも行かず、ニンフやらウェット系のフライを巻くのと、ラインを変えて後背地がボサの幅が広い川でも長い距離のキャスティングが出来るようにするなど、準備に余念がないとか。
早々に切り上げて恩田君と別れ、板橋物置部屋にいそいそと帰る。スキーウェアを着込み、流れる雲を恨めしく思いながら青猫を引き出し、荒川土手に向かう。幹線道路から一本引っ込んだ道は誰もいなくて、等間隔に並んだ街灯と、その間にたたずむ自動販売機が点的に照らす空間がずっと向こうまで続いている。週末にエアをぱんぱんに入れた青猫はその明るい点を繋ぎながら、滑るように荒川土手を目指す。
堤防のてっぺんに立つと、風がびゅう、と吹きつけた。
土手を下り、犬走りの下あたりに青猫を放り出し、その脇に寝転がって空を見上げる。雲の流れは速い。ぼんやり空を眺めながら寝転ぶ僕の自意識は、身体を離れて舞い上がり、荒川沿いの住宅街上空でホバリングしている。寒いのに、不思議と身体は震えなかった。大地が僕の体温を吸い取って身体を冷やす。地球と一体化した僕を、上空の僕が見下ろす。
そんな風にして時間を潰していると、23時を過ぎた頃に明るい筋が空を走った。上空の僕は急いで地面に身体を横たえた冷えた僕に戻り、空を見上げる。ホラ今こそ、双子座の星降る夜が始まったのだ。しんしんと冷気が覆う地上の遙か上を幾筋も流れる光。寝静まった街に降る星の軌跡。それを見上げる僕と青猫。どこかで犬が吠え、バイクの排気音が遠く遠く響いてくる。
「大事なのは、山脈や、人や、染色工場や、セミ時雨などからなる外の世界と、きみの中にある広い世界とのあいだに連絡をつけること、一歩の距離を置いて並び立つ二つの世界の呼応と調和をはかることだ。たとえば、星を見るとかして。」
スティル・ライフ 池澤夏樹