ひみつ基地

ひみつ基地暮らし。

FM81.7「ひみつ基地」放送。

古ぼけた校舎は年末で人影もなく、足音ばかりが長い廊下に響く。非常勤講師控え室はかび臭く、動くたびに埃が舞い上がって、それが外からの照らされて光の筋をつくる。
「うわ、ひどいねえここ。中目黒くん、使うんだったら掃除してくれればいいのに」
「余裕がないのです。先生こそ持ち物を整理してください。いくらガラクタの殿堂といっても、これは非道すぎます」
部屋の隅にあるブレーカーボックスを開け、スイッチを入れると、電源が入ったアンプが低い音でうなり出す。
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さて、準備が出来ました。久しぶりの開局です。FM81.7「ひみつ基地」、一年に一度の放送の日がやって参りました。Captain NAKAMEGUROとDJ MIRAKINOの二人がお送りする、モアトーク、レスミュージックのラジオショーでございます。
「先生、ほんっっっっっと、久しぶりですね」
「いやー、帝都の冬ってこんなに過ごしやすかったんだねぇ中目黒くん。雪かきなし、凍結路面なし、なんたって普通のスニーカーで外出できちゃうんだもん、去年までの環境とは大違いだよ」
「相当、苦労されたのですか」
「いや、もともと冬は山に遊びに行くことが多かったから、雪の多さや路面の凍結には慣れているんだ。だから苦労というわけではないけど、2年も住むとね、環境の違いに感動するというか、日本って広いなと思ってさ」
2年間の被災地派遣は、いろいろな意味で自分にも良い経験になった。都市開発の槌音かまびすしい帝都と対極の、街を作り直す巨大な事業が進められる沿岸の街々。そこで営まれるはずの未来は誰にもわからず、街の規模すら保証されない中で事業はじりじりと、しかし着実に進められる。復興事業の進捗は被災した街の願いであり、心のよりどころであり、その遅延は焦燥や、諦観をもはらむ。そういう人たちに寄り添いながら、少しでも自分が役に立てると思われる仕事を進めるのは、技術者冥利に尽きたし、やりがいがあった。
仮の宿として与えられた古いRCのマンションでの寒い冬の朝の記憶である。水の冷たさに抗うように米をとぐ。台所の窓から差し込む朝の青い光。手を休め、ふと思う。平然と日常を送っているこの場所は、いつか過去に住んでいた場所として記憶に残るだろう。ただそれはここだけでなく、帝都の板橋物置部屋にしたって同じことだ。震災からはそろそろ6年が経ち、首の骨を折って5年が過ぎた。
人は時間の中でどんどん変わっていきます。

3月に派遣の任を解かれ、4年ぶりに帝建に戻ってきました。今度の仕事はロビイストみたいな活動です。
「先生って、本当は何が専門なのですか」
「僕にもわからなくなってきた」
さて、来年はどんな年になるのでしょうか。順調に滑走日数を伸ばすスキーももう少し上達したいのですが、最近はトレーニングで始めたランが高じて、マラソンもある程度記録が出るようになってきました。できればサブ3を狙いたいところです。それと自転車。年明けには灰猫の近代化改修を実施します。それでヒルクライムレース対策にものめり込んでいこうと…
「先生、何を目指しているのですか」
「だって楽しいんだぜ?楽しくて何が悪い」
さて、木下未来的には激動の2017年はこんな感じで過ぎていきます。来年はどんな時間を過ごすことになるのかわかりません。ただ、変化することを肯定し、自分が干渉しうる限り建設的で前向きな未来を迎えられるよう、後ろを振り向かず、常に先の方向を向いていようと思います。年末に送る最後の曲は、同じように未来を楽しもうとしている無名戦士の皆さんに、特にお送りしたい。
希望と、祈りにあふれた生活が、あなたにもやってきますように。

業務ダイアリー・カバー考。

今年も来年の日誌を手に入れる時期である。新宿で、通りすがりにハンズに寄り、迷わずいつもの能率手帳を購入。この手帳に変えてから3冊目である。年々使い勝手を改善してきたので、今や別のフォーマットに変えるのもおっくうである。よっぽどの不便がない限りこのままNOLTYを使い続けるのだと思う。

3回も同じデザインのものを手に入れると若干の変化が欲しくなり、革製のカバーを着けてみることにした。元々能率手帳に着いているビニールのカバーを付けたままその上から全部を包めるサイズのものを探す。スケジュールを書き込むだけでなく、それに関連した集会のお知らせのプリントやら、旅のしおりやら、歯医者の定期検診の葉書やら、靴の修理伝票やらをバンバン挟み込んで使うので、元々のビニールカバーが果たしていたポケットの役割をスポイルしない大きさが必要なんである。フルオーダーすれば自分の望みのサイズが手に入るけれど、出来れば既製品で確保したい。主に財政上の理由で。
探してみると、B5の大学ノートを対象にしたものが多い印象。もう少し大きければ、選択の幅が広がるのだけれど。スケジュール帳のカバーって、ニーズありそうだけど、どうやらそうでもないのかな?
そんな中、良さそうだったのがPORCO ROSSOの革カバーである。他のB5革カバーと比較すると、5mmくらいサイズに余裕があるのと、デザインと機能がシンプルなのがいい。
PORCO ROSSO/B5ノートカバー(チョコ)[sokunou]

PORCO ROSSO/B5ノートカバー(チョコ)[sokunou]

これのキャメルを購入。
信販売は発注当日に品物を手に入れられるご時世、朝発注して、夕方には手元に届いた。そのブツに対して、最初にしつけをするのは他の革製品と一緒である。ミンクオイルを塗り伸ばして、染みこませてはまた塗るというのをしばらく続けた後、実際にスケジュール帳に着けて、適度な重さでプレス。次の日の朝には反り返りもなく、いい具合に革が馴染んで中身にフィットした。
以来、朝のスケジュール確認のときにほんのりとミンクオイルの香りがして、一寸背筋が伸びる気がする。
仕事にも遊びにも、鞄に放り込んでどこでも持ち運ぶので、すぐに傷だらけ染みだらけになるのだろうけれど、その変化も楽しんでみよう。ときどきミンクオイルを塗り足しながら。

Hello Nico。Frecklesとか、9m88とか、最近の台湾POPは侮れない。

東京生活に慣れる。

日曜日、ヒルクライムレース出走。昨年より30秒近くタイムを落としたけど、原因は解っているので落胆はしなかった*1。帰りは久しぶりの関越道日曜渋滞に嵌まって、そうそう、こんな感じだったよ週末の遠征って、という変なノスタルジーに浸りつつTOKYO FMの「Nissan あ、安部礼司」を嬉々として聴く。換装したばかりのレガシィの電装は、無線の調子が前の装備より格段に良い。ガスの警告灯が点いたけど、どうせ今週末も遠征だし、出撃途中で給油すればいいだろう、と高をくくってそのまま入庫。
明けて月曜日、朝から電話。
「木下先生、ひょっとして寝起きなのですか」
「ん?ああ、中目黒くんか」
どうやら狸穴の控え室は中目黒くんの基地になっているらしく、備品の廃棄に困っている由。好きに使いたまえ、と伝えて電話を切り、朝寝を決め込む。
午後になってから中野隠れ家の近くにあった胡散臭い美容院の移転先に顔を出して散髪。女主人は相変わらず胡散臭く、同じく胡散臭い来客と胡散臭い契約についての会話に興じていた。しかし担当のヘアメイクの仕事は流石な出来映えで、近所の床屋でスポーツ刈にしていればいいかな、という考えを見直すに充分だった。予約は改めて入れることにし、江古田の街をてくてくと歩いて大江戸線に潜る。
そのまま新宿まで出て、新線方面の出口に上がる。京王モールを通り抜け、小田急ハルクからサブナードに出て、アルタ前出口から地上に出る。8月終わりの東京はひとときの猛暑から若干クールダウンして、ぬるい空気が夏の終わりっぽく雑踏の間を吹き抜ける。みずほ銀行の脇に場違いに口を開ける路地をアルタ裏に抜けると、沖縄料理屋がある。食券を買ってカウンターに座る。程なくして出てきたソーキそばに、紅生姜をたっぷりとコーレーグースーをひと掛けして、おもむろにかき込む。ここの料理は飾り立てていない分、プレーンに郷土料理のそのままを味わわせる感じで、悪くない。夏の終わりの宵の口にはぴったりな夕食である。
食べ終わって食器をカウンターの上に上げ、外に出ながら腕時計に目をやると、19時30分である。
さて、これから何をしよう。
the night is still young.

*1:昨年は単身赴任先で、暇に任せてジムのエアロバイクを高負荷で漕ぎまくっていたのです。

夏のある日、北へ。

金曜日、仕事を早々に切り上げ、板橋物置部屋に戻る。引っ張り出したのはオレンジ色のdeuterのtrans alpine 30。こいつの特徴は中が2気室に分かれていることで、ランシューズを下に、着替えと電装を上にパックする。バッグの上部にオリーブドラブのパッチが当たっているのは、この間洗濯機で防水加工したとき空いた穴をテント補修用シートで塞いだ痕である。
ちょうど食べきるように計算して炊いたご飯は、きっかり一食分200グラムが炊飯器の中に残っている。野菜をたっぷりと、たんぱくを少々の晩ご飯を手早く掻き込む。食器を洗い、シャワーを浴びて、畳んでまとめておいた旅装を身に着ける。パッキングが済んだ荷物を背負って、それなりの法則に則って積みあがった荷物がそびえる部屋を眺め渡す。そして、ここに戻ってこないかもしれないという予感めいた思いにとらわれる。4月に帝都に戻ってきて以来、たまに取りつかれる不思議な感覚だ。僕はここに戻ってきたのだろうか、それとも、またすぐに出ていくことになるだろうか。もちろんそれは幻想で、しっかりと週明けからの仕事のスケジュールが詰まっているのだけれど。
重い鉄の扉の外に渦巻く湿度の高い空気に分け入る。街は週末の活況に沸いている。新宿駅に近接する複合施設には、ここ最近お世話になりっぱなしだ。やたらと大きいキャリーケースを引き摺る人の列に混じって4階に上がるエスカレーターの脇を、巨大なバスがローギアーでゆっくりとスロープを登っていくのが見える。それを眺めながらたどり着いた4階のロータリーは、セイウチのコロニーよろしく長距離バスの群れがひしめき、咆哮を上げている。待合フロアは足の踏み場もないくらいに混雑していて、みんなが大きな荷物を引きずりながらディスプレイに表示されるバスの入構時間と検察の開始に目を向けている。混雑と人いきれ、効きすぎの冷房。ベンチの隙間を見つけて潜り込む。
時間きっかりに入構したバスは、いつもの予約よりも値段の高い便である。時期柄満席だとのこと。オレンジのバックパックを行き先を告げてラゲッジルームに預け、ハイデッカーの車体によじ登り、シートに座る。
ほどなくバスは満席になり、車体を震わせながら甲州街道を走りだす。車窓が遮光布でおおわれているので、GPSでトラッキングして経路を確認する。中央環状線を通って、江北ジャンクションから川口ジャンクションへ。そのあたりから瞼が重くなり、眠ることにする。幸いにして隣の旅行者はいびきもなく静かな老人で、今日はついていると思う。今日は疲れているし、よく眠れそうだ、といつも思うのだけれど、やっぱりバスの座席は疲れて、途中で目を覚ます。GPSを確認するとあと1時間ほどで着くみたいだ。そのまままたまどろんで、早朝、北の街にたどり着く。荷物を受け取ると、人気のない街を歩きだす。
ああ、また帰ってきた。
今日明日はこちらの秋祭りの打ち合わせとランクラブの集会に出席。どうせお酒がたっぷり出ることだし、最近続いていた理想的な栄養配分の食事が途切れることにはなるけれど、今週末は赦すことにしよう。
で、今は電脳喫茶で漫画を読みながら土曜日の週末を愉しんでいるというわけ。金曜日に仕事をやっつけた後、潜り込んだネカフェでピラフ食ってる時が一番幸せ、という木楢の気持ちがよくわかる。

微熱はつなつ。

風には夜露の湿り気が混じっていて、初夏の香りがする。広い駐車場の真ん中に水銀灯が円錐形の明かりを投げかけていて、それに照らされてうずくまる深夜高速バスは週末の客を満載している。
東北から東京に戻ったのはこの春のこと。板橋物置部屋は手狭で(何しろ物置部屋に強引に生活道具を割り込ませているものだから)、しかし急いで引っ越しするほどの余力もなく、どうせ日中は外に出ているし、休日だって家でゆっくりすることなんてないから、と居直る。まずはリネンを洗いに出して、プロテインを作る。ウェイトの計測と記録。それから朝のラン。日常はだんだんと組みあがり、組みあがったからくりが軋みながら動き出す。ルーチン、ルーチン、ルーチン。
ひんやりしたサービスエリアの空気を吸い込んでから、バスの中に戻る。なんていうか、布団の中みたいな湿気を感じながら、座席について目をつぶる。
東北にいた時から、朝のランは習慣になっていた。だんだん出来上がる身体を見るのは楽しい。それと同時に、タイムが上がり、VO2maxも上がり、ハーフマラソンでで90分を切り、フルマラソンで4時間を切った。
そして、少しづつ過去のわだかまりめいたものがほどけていく。これも面白い。だんだんと自由になる。
消灯されたバスの中で一人にやにやする。なんたってこれから、東北に行ってフルマラソンに出るんだからな。

懐かしのバトルフィールド。

朝3時に起床。雑魚寝の部屋では他の人もそろそろ起き始めている。それでも静かに、寝ている人を起こさないように心拍計のバンドを着け、昨晩のうちにゼッケンを貼ったジャージを着込み、ウィンドブレーカーを羽織る。ハートレートモニター(相変わらずのCS400!*1)のスイッチを入れると、心拍数は50に落ち着いている。
今日は特別の日だ。
階下では朝食の準備が既に出来ていた。ご飯3杯、おかずも残さずに食べる。3日前から炭水化物を多めに取り、リバウンドを利用したカーボローディングを意識した。当日朝もたくさん食べること、とはフルマラソンのカーボローディング方法をどこかで読んだときに聞きかじった知識だ。早めにたくさん食べて、レース前にたくさん出すことが大事なのだ。
2012年5月に、僕は入院した。幸い1ヶ月で退院出来、怪我から2ヶ月で普通の生活に戻ることが出来たのだけれど、入院している間に、エントリーしていた第9回Mt.富士ヒルクライムDNS*2で終わった。
今日はそのリベンジの日だ。第13回Mt.富士ヒルクライム。相棒、というより武器は灰猫である。いままで然るべき活躍の場を与えることが出来ないでいたのだけれど、軽量のこのバイクに、富士ヒルクライムはうってつけのバトルフィールドだ。
駐車場のいいポジションを確保するべく、他の人より早めに宿を出た。
快晴の富士山麓。久しぶりに富士山を間近で見上げる。第15ウェーブまである選手群の、真ん中ちょっと前の第7ウェーブの一番前に陣取って、出発時間を待つ。周りでは絞った体型の人とファンライドっぽいゆったりした人が相半ばしている。みんな思い思いに時間をつぶしている。気圧の関係なのか、気温のせいなのかわからないが、突然近くのキャノンデールのタイヤがバーストした。途中トイレに行くとすごい行列だったが、時間には余裕があったのでしっかり軽量化した。
プラカードを持った係員がポジションに着くと、選手はそわそわと自分のバイクを起こしにかかった。数百台のバイクがざわざわと準備するさまは壮観である。この頃から戦闘モードに徐々に入り始める。ぴりぴりとした雰囲気が逆毛を立たせる。頭の中ではNegiccoがトリプル!WONDERLANDを歌い出している。最近のレースの時のアップの定番曲だ。BPMが合うのだ。

「第7ウェーブ、移動を開始します」
係員が号令を出し、クリートをカチャカチャいわせながら集団がゆっくりと移動を開始した。
「道を空けてください。第7ウェーブ通ります。道を空けてください。」
係員の掛け声をDead man walkingみたいだな、と思いながら進む。みんな無言だ。スタートライン近くの待機場所に移動してから、ここでまた30分ほど、自分たちより前のウェーブがスタートするのを眺めながら待つ。心拍は60台で落ち着いている。
スタートの号砲が鳴ったとき、僕はゆっくりと漕ぎ出して最前列からわざと少し遅れ目にポジションを下げ、足を使ってしまう愚を避けた。少しゆっくり気味くらいでいい。計測区間が始まるまでパレードを楽しむ。やがて料金所のゲートが見え、富士スバルラインに次々に自転車がとりついていく。計測ラインを超えると同時にサイコンのスイッチを入れた。このとき、ハンドルには1時間15分切りのシルバータイム用のラップチャートと、1時間30分切りのブロンズタイム用のチャートを貼っていたのだが、5km過ぎる時点でタイムは19分40秒。この時点で17分程度のタイムが必要なシルバー狙いはあっさり放棄し、ブロンズに焦点を合わせる。心拍159bpm。
10km、37分10秒。心拍156bpm。心拍が安定していて乗りやすい。今まで心肺機能を重点的に鍛えてきたのが効いてきたのか。ラン主体で作った身体は、自転車用の筋肉が強化されているわけではない。武器は心肺だけだ。隣り合ったライダーの呼吸音を聞いて、意識してそれよりも深く、ゆっくり息をする。
15km、56分。心拍153bpm。
20km、75分5秒。心拍152bpm。
21kmあたりからフラットな路面になって、スピードの合う人とトレインを組む。一挙にスピードが30km/hを超えるが、最後の登りですぐに減速する。そこまで行くと声援も「あと1kmがんばれ!」とか「最後の登りだよ!」とか、ゴール近くを感じさせるものになってくる。既に上り終えて下ってくる人からも「頑張れ!」「もがけ!」と気合いを入れられる。
そのころ僕は、乳酸の痛みをいなしながら最後のスパートのタイミングを図っていた。
ゴールまで500mを切ったところで、隣で突っ込みかけていたライダーに「行きます」と声をかけ、最後に残っていた脚で引き足気味に灰猫を進ませる。もう後は耐えるだけだ。
1時間25分切りでゴール。
やあ、ヒルクライマーのみんな、僕は、帰ってきましたよ。また一緒に遊んでください。

*1:windows10に環境を移行したとき、赤外線通信が使えないことを知って愕然とした。CS400とパソコンのデータのやりとりは赤外線で行われるから。今更環境を変えるつもりもなく、ネット上の情報を探しまくってなんとか環境を整えることが出来て一安心。→http://www.taroumaru.jp/main/irda_windows10:title=IrDA

*2:Do Not Startの略。DNF(Do Not Finish)とか、レースの時に使う用語。

窓さんち。

レガシィに火を入れて暗い国道をすっとばす。およそ100キロの先、沿岸に窓さんちがある。
「よく来たねぇ」
新築の香り立つカウンターの向こうからひょっこり顔を出した窓さんは、人懐っこい笑顔で迎えてくれた。
津波に洗われた街に、窓さんは新しい米屋を建てた。だから帝建の復興支援班の運転手業は廃業で、米屋に逆戻りである。
そーいえばさぁ、と窓さん。車に乗ってる間ずっと木下ちゃんとは食い物の話ばっかりしてたけどさぁ、振舞ったことないよね。おいでおいで。
という電話で、今回沿岸で飲み会をすることになったのである。
「あん時立てた案内看板、全部撤去になっちゃったね」
「そうなんです。今やどこもかしこもかさ上げ工事ばっかりで、昔の街の姿なんてわからないですよ」
牡蠣をバターで蒸しながら、地酒で乾杯する。
まあ、酒飲んで幸せな気分になれる場所ができたのであれば、それは復興に向けて着実に進んでるってことなんじゃないかねぇ。飄々と窓さんが言う。
でもね、復興って、どこまでが復興なんだろうね窓さん。新しく街を作るって、大変だけど、終わりがないよね。
うーん、それを教えてくれるのは時間なんだろうね。どこまでが区切りなんて、誰にもいえないよぉ。木下ちゃんどこまでやる気?
僕はね、必要とされるうちはそこで働くし、淡々とやりますよ。
「そっか、そしたら、また呑みにこれるねぇ」窓さんは笑う。